2009年11月30日 (月)

2000/08/16 (水) 試験問題漏洩

 今春問題となった「歯科医師国家試験」問題漏洩事件であるが、最近になって大学名や疑惑が持たれている教授の担当講座名が報道されている。

 以前からこうした問題はあるようだが、卒業試験に出題されたから即漏洩という訳ではなく、おそらく「この問題が出るよ!」などという口頭での解説があったものと推測される。

 私の出身校では卒試は記述式だったので、こういうことは考えられなかったが、国家試験の前にはぁゃιぃファックスが大量に入り、ひょっとしてどこかから問題が漏れているのだろうか?と思ったことがある。実際にはまったくガセネタばかりでかえって不安を煽られただけであったが、もしかするとマジネタのファックスが流れた大学があった可能性も実際の所否定できないのである。

 医療関係の資格は厳正な試験を行った上で認定してもらいたいのは当然のことであるが、教授連がなぜ「何とか自分の所の学生を合格させたい」と思い詰めるのかという構造を明らかにしていかないと、何度でもこういう事件は出てくると思う。現に91年にも某大歯学部の教授が逮捕されているのだから。

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2000/08/14 (月) お盆の夜

 静かな住宅街に突然へりの爆音が近づいてくる。そして先ほどから頻繁に鳴っている救急車のサイレン。この近くには道内でも最大規模の救命救急の施設があるのだ。楽しいはずの夏休みだが、各地で交通事故や水の事故が相次ぎ、ついさっきも多重衝突事故で子供が重体に陥っている、と報道されていた。

おそらく増員シフトを敷いてはいるだろうが、現場の医師たちは休む間もなく懸命に働いていることだろう。

 休暇でのんびりしている自分が何だか申し訳ないような気がするが、駆けつけてお役に立てる自信もないし、システム的にもそういうことは不可能である。かつて数年間救急の現場で働いていた経験から、様々な状況が思い浮かぶが、「ルールのない」救急の症例は、レスリングに例えるなら「金網デスマッチ」であり、内科系の外来診療は「アマレス
のグレコローマン」のようなものである。
 
こんな夜に「ルールなき世界」で闘っている医師たちに心からエールを送りたい。

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2000/08/06 (日) 疲労困憊の休日

 函館は地方は夏祭りだが昨夜はあいにくの雨模様、しかし名物「イカ踊り」は結構な人出だったそうだ。ちょうど難病連の全道大会も函館で開催されており、今日の午前中は筋無力症分科会でちょっとお話しさせていただいた。

いつも思うのだが、患者さんや患者さんの家族に向けてお話しするのは非常にプレッシャーであり、学会発表の緊張感とは全く違う難しさがある。さいわい滞りなく講演(というほどのものではないが)を終え、お茶とお弁当をいただいて帰宅。昨夜は準備でほぼ徹夜だったので一時間ほど仮眠、その後夕から行われるコンサートの準備に入った。

 私の住む町には毎夏「語学研修生」がアメリカからやって来る。ホームステイで2ヶ月間滞在し、文化交流なども含めた様々なイベントに参加するのだが、今年来た女性は何とジュリアード音楽院の大学院生でチェロ専攻、卒後はニューヨーク・フィルへの就職が有望という超「強者」、そして帰国前に急きょリサイタルが決定した訳である。

 例によって町内会パワーで文化センター中ホールを借りての「手作り」イベント、そして私は何と「司会」という大役!を仰せつかってしまった。急な話だったので人が集まるかどうか不安だったが、250名収容のホールは満杯で立ち見が出るほど、予定の12曲にアンコール1曲も花を添え、一応の成功を収めることができた。

 随分労力を費やし、疲労困憊の日曜日ではあったが、それなりに充実感もあり、少し気持ちも上向きになった。明日からまた通常業務だが、何とか頑張って行きたいものだ。

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2000年07月06日・業務上過失致傷

 昨年原発関連企業でおきた悲惨な被爆事故、あの時誰もが驚いたのが核燃料の材料をバケツで投げ込んでいたという「ずさんさ」だった。今回は牛乳であるが、だからといって
罪が軽いかと言えば、そんなことは絶対にない。黄色ブドウ球菌に汚染された牛乳で実に7000人以上の一般人が被害を受けた今回の「雪印低脂肪牛乳」の事件でも、工程に定められている「バルブの清掃」を日常的に怠ったことが原因だったという。
 
 どこもかしこもどうしてこんなにたるんでいるのだろう。工程に定められている、ということは「必要だから」であり、「その後殺菌に回るので大丈夫だと思った」という工場側の説明には全く説得力が感じられない。悪いことをした、という意識もないのであろうか?
 もしこれがO-157であったら、確実に「業務上過失致死」になることだろう。大手メーカーの牛乳だから、と信頼して購入した被害者の方々に二重の裏切りを行った雪印の対応にど殆ど誠意が感じられないのも不思議である

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2000年07月01日・医療はビジネス?

 「医療はビジネスである」、こう言い切ってしまうことに抵抗がある医療関係者は多い。たしかに「ビジネス」という言葉にはあたたかな響きがないし、「ビジネス-ライク」という言葉は冷徹に物事を実行するイメージを伴う。

 昨日、最近大規模に事業展開を始めた某ヴェンチャー系介護支援会社がはやくも撤収を始めたというニュースが報道されていた。まだたった2ヶ月しか経過していないのに収入が予想を下回り、資金繰りもショートしているという。商社での経験やディスコ経営のノウハウが役立たなかった、とかサービス単価が抑えられすぎた、とか色々言われてはいるが、やはり「人間相手の仕事」である視点を持てなかったことが一番の失敗ではないかと思う。

 学問的に言えば「医療はビジネス」以外の何ものでもない。サービスを供給し、対価を受け取る。資源の有効配分や最適化も目標となるし、人件費や機器の維持費などコスト意識も大切なのだから。しかし、介護は携帯電話を売るのとはまるで違う世界である。人間が人間を相手に、自らの心身を動員して仕事をするのである。営業所が採算に合わないからといって斬り捨ててしまえば、患者さんは当然受けるべきサービスを中断されたり、質的なダウンを余儀なくされる可能性があるし、介護スタッフはその地域での信用を失い、次の仕事に支障をきたすことだろう。携帯電話販売店は店をたためばそれで済む話だが、
介護の仕事を中途放棄することは周囲に多大な迷惑が及ぶ行為と言えるのではないだろうか。

 世間では人の心が通わないビジネス、金が集まる所からむしり取ろうとするビジネスが横行しているが、かつての企業には設立の理念とかモラルといったものをもっと大切にしていたと思う。リストラばかりしていないで、従業員が自分の属している会社を誇りに思えるようなビジネスを求めるのは時代錯誤であろうか?
少なくとも医療はそういうビジネスであってほしいものである

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2000年06月28日・物質暴露化学の恐怖

 最近、化学工場の爆発、肥料工場での硫化水素中毒、危険物を積載したタンクローリーの横転など、化学関係の事故が相次いでいる。今までも砒素カレー事件などで問題になったが、日本の救急体制では、こうした状況に即応できる医療施設は極めて少ないし、マニュアル無しに対応できる医師もほとんどいないと考えられる。

 もちろん救急のABCに則ってやっていくことが基本であるが、曝露された人に付着した物質の除去が必要かどうか、とか汚染された衣服の取扱い、処置などに関してはほぼお手上げ状態ではないだろうか。

 私自身10年前に、硫化水素中毒のケースに遭遇したことがある。幸い最重症ではなかったので事なきを得たが、中毒マニュアル片手に、孤軍奮闘していた時、普段とは全く違う状況に非常に緊張した記憶がある。もし最重症であったらどうなっていたか...。

 化学物質への曝露、吸入による中毒というのは滅多に起こらないが、一旦起こるとしばしば致死的となる。単にマニュアルを配布して救命救急センターに常備するだけでなく、医療関係者に対する講義や実習などの機会を日常的に用意したり、情報提供を行っていくことが必要ではないか
と思う。

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2000年06月25日・質より量?

常々疑問に思うのだが、平均在院日数の制限がこれほどまでにきついのはなぜなのだろうか?確かに医療費削減のために不必要な入院を減らすことが当面の課題であることは十分に理解できるが、それにしても診療の質的評価をほとんど勘案せず、ただ日数だけを絞っていくやり方にはついていけないものを感じる。

 「急性期」「慢性期」と呼ばれる言葉が一人歩きし、すべての疾患が一定のcategoryに収まるかのような論調もみられるが、例えば脳梗塞にしてもmonophasicな穿通枝梗塞の場合と、主幹動脈や全身的な問題があって短期間に発作を反復するような場合では、その対応は到底同じ疾患に対するものにはなり得ない。しかし、どちらに対しても現行では最大30日以内、今後は20~23日程度で急性期入院を打ちきらなければならないのある。

 もしそのために次の医療(もしくは介護)が不十分で患者さんの予後が悪化した場合にはいったい誰が責任を問われるのであろうか?(多分次のステップへ送り込んだ現場の医師が家族に問いつめられることだろう)

 私が現在いるところはこれほど厳しい制限はないのだが、市中病院の多くは、こうした中で悪戦苦闘している。例えば年間3600人の新患を受け入れる病院では、平均在院日数が60日の場合には600床が必要であるが、30日になると300床、20日になるとさらに減床が可能となり、人件費の節減、施設の稼働率向上が直接コストダウンにつながる訳である。

 こうしてquantityを絞り込むことによってqualityも変えてしまおうという意図が現在の医療政策には透けてみえるような気がするのだが、やはり医療のqualityを問わずして何のコストダウンか、という思いがわき上がってくる。どのような改革であれ、患者さんが不利益を受けないことが最も重要であり、医学的問題と経済的問題の整合性を求めていく姿勢が重要ではないだろうか。

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2000年06月23日・恐怖の水割り

 都内某盛り場のキャッチ・バーの客が亡くなった事件で今日従業員らが逮捕されたそうだ。水割りを作るための水差しにはウォッカが入っており、色が薄くなればなるほどアルコールが強くなるという「恐怖の水割り」、そしてここでも眠剤が利用され、昏睡状態となった被害者は泥酔と眠剤の相互作用で呼吸状態が悪化して死に至ったという。

 何とも怖ろしい話である。実は私の知り合いにも同様の被害にあった人がいるが、一杯目を飲んだ後の記憶がまったく途切れてしまい、気付いたら公園に寝ていたそうだ。もちろん現金もカードも何もかも抜き取られ、交番に行ったところ「命があってよかったね」
と慰められたというから凄い話である。

 前にも書いたことがあるが、アルコール単独であっても人を死に至らしめることが可能な「凶器」になりうる。そしてそこに眠剤(これは今日報道された某大学病院の医療事故で使われた麻酔薬とほぼ同じ系統の薬である)まで加われば、危険な状態になることは容易に推測できるのだ。

 今回の事件は氷山の一角であろうから今後も犠牲者が出ないとは限らない、いや出てくることが十分予想される。

 東京に出てきて解放的になる気持ちも分かるが「危うきに近寄らない」態度も必要であろう。まあ飲めない体質なので、都内のホテルに泊まっても弁当で済ませてしまう私には全く関係ない話なのだが(笑)。

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2000年06月21日・ペイしない救急

 今朝の新聞に「救命救急センターへの補助金見直し」という記事がかなり大きく取り上げられていた。要するにセンター指定を受けていてもその設備、診療内容が不十分であれば補助金の見直しを行い削減していく、というものである。
 
 たしかに救急はお金がかかる。医師、看護婦をはじめ検査部門のスタッフまで拘束して待機していても全く救急車が来ない日もあり、そういう時は、人件費、光熱費などの諸費用はすべて持ち出しとなってしまう。何しろ病院というところは患者さんが来ない限り
まったく収入を得ることができない場所なのだ(その割には態度のよくない医者をしばしば見かけるが)。

 問題はたくさんあるが、やはり急患・重患の受け入れシステムが良好に稼働していない、ということが上げられる。地域によって色々差はあるが、現行のシステムでは救命救急センターは高次救急であり、必ずしも最初に搬送される施設とは限らない。これは軽症者も含めて何でも搬送していたら本来の業務に支障を来すからだが、一次・二次救急に回っている間に容態が悪化し、センターに送られてくる頃にはすでに手遅れ、ということもあり得るのだ。

 こうした混乱を避けるのは非常に難しいが、やはり救急の裾野を広げる以外にないように思う。医療関係者であっても救急の知識や経験がないと「あ、私わかりません。どっか送って下さい」といった対応をしがちであるが、少なくとも意識をバイタル、目立った外傷、出血の有無くらいはチェックしたいものである。

 高度な設備を維持し、専従のスタッフを張り付けているはずの救命救急センターであるが、スタッフは雑用もこなしているし、院内からのコールにも対応しているのが現状であろう。まして地方都市の場合、専従スタッフを雇用するだけで大変な苦労であり、院内にいる救急に強い医師をセンター兼任として置ければ良い方ではないだろうか。

基準を下回っている施設へのペナルティは当然かもしれないが、もっと広い視野から対策を立てていかないと、ますます救急医療が危機に陥って行く事だろう。

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2000年06月01日・なぜ?また?

またも医療不信をつのらせるニュースが報道された。枚方市民病院の「乳房切除手術」事件である。報道によれば、初めて受診した時に、超音波検査の映像を見せながら本人と家族に「これががん細胞。すぐ手術しないと」断言した。

 手術当日。手術室に結果が届かないうちに、乳房の切除を始めた手術中に届いた病理検査の結果は「がんではない」だったが、切り取った乳房を家族に示し「これががん細胞」と触らせた。

 ということのようだが、あまりにも人をバカにした話である。背景には「手術がしたい誰だっていい、別に病気でなくても良い」というおそるべき外科医のエゴが透けて見えるが、このような人物にはおそらく余罪も多いと推測される。

 外科医にも様々なタイプがあるが、このように悪質な医者はまず例外である。しかし、若い頃あまり腕をふるう機会に恵まれず、ある程度の年齢になって院長職などに就いた場合には、「年寄りの冷や水」的に手術をしたがるケースもある、という噂を以前耳にしたことがあり、今回の件もそうだったのではと想像した。

 院長がこのような状態になってしまった場合、通常誰も止めることはできない。それは社長が暴走して経営危機に陥っても社内に意見できる人間がいないのと同じ事である。病院、とくに公的病院は、基本的に性善説によって「監視」「監査」を受けている訳だが、今後はこうした「医師失格者」を早期発見し、排除することが求められて行く事だろう。

 医療行為に対する客観的な評価システムが確立し、それが広く機能し始めていかない限り、こうした悲劇はまた必ず繰り返されるのだから。

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