書籍・雑誌

ロックの英詞を読む/ピーター・バラカン

 先日Amazonに注文していたピーター・バラカンの「ロックの英詞を読む」がようやく届いた。

 60年代後半~80年代前半までロックと共に生きていた?自分も既に50代、当時何気なく聞き流していた歌詞を改めて読み直し、軽い胸の痛みを覚えたりもする。

 前にも書いた様に、バラカン氏と私には数年の開きがあるから、この本で当時幼すぎてスルーしていた曲の素晴らしさを再発見し、YouTubeあたりで、聴き直すのが実に楽しい。

 まあ内容の殆どを既に知っている曲もそれなりにある訳だが、彼のNative+αの解説は、やはり一味違う気がする。

 全36曲を載せたコンパクトな一冊だが、いわばロック・ミュージックのクロニクル、是非続編も期待したい。

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我が青春のサウンドトラック/ピーター・バラカン

 1Q84の余韻が残っているので、この週末軽い読書をしようとラックの「未読棚」から取り出して読んでいたのがこれ。

 ピーター・バラカンは最近、ロックの英詞の解説本も出したそうで、さっきAmazonに注文を入れておいたが、本書は彼の個人的音楽体験を綴ったもので、私とは多少時代が違うが、大変興味深く読むことが出来た。

 中でも「エレクトリック・レディランド」や「ブラインド・フェイス」のジャケットを嫌って買わなかった話や、マイルスの「イン・ア・サイレントウエイ」に引き込まれた体験、そしてコロシアムやグレートフル・デッドといったあたりで、「うんうん、そうそう」という共感する部分が多かった。

 まあここに載っているのは彼の膨大な音楽体験のごく一部だろうけど、60年代~70年代というロック黄金時代をしみじみ味わわせてくれる魅力的な一冊に仕上がってると思う。

 英詞の解説本も早く読みたいものだ。

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村上ワールド堪能中

 夕方Amazonから村上春樹の新作「1Q84」(上・下)が届いたので、帰宅後すぐ読み始めた。予想された事ではあるが、例によって彼の世界が炸裂!

 時空を超えて忍び寄る邪悪な影、出来れば平凡に生きたいのに、行きがかり上邪悪なものとの戦いに巻き込まれてしまう普通の市民、並行して進む2つの物語の接点が途中で明らかになり、やがて一つに収束していく予感を感じつつ上巻読了。

 うっかり下巻を開いた所で本を閉じたが、このペースで行ったら徹夜は必至。明日の仕事に支障を来すと困るので何とか自制に成功した。

 今回は自分にとっても馴染みの深い場所が次々出てきてイメージが膨らみ、1984年頃の事もちょっと懐かしかったが、村上作品がこんなに売れるのは、やはり「邪悪なものが静かに(あるいは堂々と)忍び寄ってる感覚」を多くの人が持ってるからじゃないだろうか?

 バブルの頃にベストセラーとなった「ノルウェーの森」も決して甘い話じゃなかったけど、今回の作品に漂う「邪悪なオーラ」は、今までの彼の作品の中でも特にリアルでハードな気がする。

 昔から缶ビール片手に彼の作品を読む事に憧れていたが、今回キリン・フリーで、夢を実現出来た(笑)。ビアテイスト・ドリンクでは無い、本来の意味でのノンアルコールビール」を世に出したキリンビールに感謝!

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1Q84

 東京では先行発売もあったし、ネット上には既にネタバレに近い記事も出回ってる様だ。

 私はだいぶ前にAmazonで見かけて、取りあえず予約を入れ、昨夜「出荷しました」というメールを受け取っているので、ノンビリ構えているが、やはり1Q84とは1984年の様で、なぜ9→Qなのかが気にかかる。

 1984年に起きた主な出来事をちょっと検索してみると

 グリコ・森永事件(迷宮入り)、長野県西部地震(死者29名)、三池鉱業所坑内火災(死者83名)、
東京電話ケーブル火災(都内の通信機能がダウン)、自民党本部放火事件など。

 海外では、ロス五輪、ロンドンサミット、インディラ・ガンジー首相暗殺などがあった様だ。

 あと一番笑ったのが「くれない族」という流行語。何と「夫が構ってくれないと不満を抱く妻」の事らしいが、今やその逆が殆どだろう。

 まあ個人的には、医学生として一つの区切りである解剖実習を4月から10月くらいまでやり、当時最も厳しいとされた基礎医学前期~基礎医学後期への進級試験対策に膨大な時間を費やしていた1年、ただしんどかった事しか記憶に無い。

 多分手にするのは週明けになるだろうが、ゆっくり楽しみながら読むことにしたい。

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疫病と世界史上・下/中公文庫

Ekibyo

 出張中に「函館でも新型インフルエンザ疑い」というニュースをウェブで見て、「とうとう来たか」と思ったが、再検査の結果は季節性A型だった様だ。

 今回の新型インフルエンザ流行に関しては色々思う所があり、通りすがりの書店で「疫病と世界史」という文庫本を購入し、パラパラと拾い読みしている。

 まあ人類と感染症の歴史は有史以来続いているし、「魔法の弾丸」と呼ばれた抗生物質も決して万能では無い訳だが、現代の医学はおそらく「加齢制御」に最も多くのリソースを注いでおり、今回の流行は、何となくそういう傾向に対する「警鐘」の様に思える。

 まだ感想を述べる程読み進んでいないのだが、この機会に人類の歴史の中で「感染症がどんな役割を果たしていたのか」「近代医学の感染症を制御しようとする試みが、我々の生活をどう変えたのか」などを考え、自分なりに整理してみたいものだ。

 ※それにしても文庫本高くなったなぁ・・・。

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村上春樹にご用心/内田樹(再読)

 昨夜寝る前に読み直してみたが、キャッチャーやセンチネル、そして村上春樹が言う「雪かき」と家事との関連に強く反応してしまった。

 私自身、母が病に倒れてから結婚するまでの7年間と二男と2人で暮らした2年、合計9年間の家事経験があり、その熟練度は到底内田センセイに叶わないものの、彼が言わんとする所は非常によく分かる。

 ちょっと引用してみるが

「人間的世界がカオスに呑み込まれないように、崖っぷちに立って毎日数センチずつじりじり押し戻す仕事。家事には『そういう感じ』がする」、「とくに達成感があるわけでもないし、賃金も支払われないし、社会的敬意も向けられない。けれども、誰かが黙ってこの『雪かき仕事』をしていないと、人間的秩序は崩落してしまう」

 おそらくこういう記述を読んでもピンと来ない人も多いだろうが、いつも書いてる様に内科系医師の仕事も、まさにこれと同じだし、全てを金という尺度でしか評価しないグローバリゼーションが、こういう営みを損なない続けて来た事が、最近の社会的閉塞感に繋がってる様に思う。

 彼が例に出した「自分の努力には常に正当な評価や代償や栄誉が与えられるべきだと思っている人間は、『キャッチャー』や『センチネル』の仕事には向かない。適性を論ずる以前に、彼らは世の中には『そんな仕事』が存在することさえ想像できないからである」という記述からは、買収された企業が急速にオーラを失ってしまう様子がイメージされるが、それは多分、その企業を支えて来た「センチネル的システム」が。その重要性を理解出来ない新経営陣によって排除されてしまった結果なんだろう。

 一人暮らしになった今、私がする家事は実にささやかな物だが、それでも、それをしっかり全うする事が、多分仕事にもメンタルにもプラスになるに違いない。

 さて食洗機でも回すか(←全然家事になってない?)。

Goyojin

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続・ロング・グッドバイ(村上春樹訳)

 何だかんだ言いながら途中から一気に読む速度が加速、睡眠時間を大幅に削り、キース・ジャレットのピアノトリオをBGMにして、何とか読了した。

 結局、急転回するエピローグのあたりでは、村上作品を読んでる様な錯覚に囚われてしまい、読後にはドッと疲れが襲って来た。

 何せ旧約を読んだのは、30年以上前、後日比較して読んでみないとコメントは不能だろう。

 休日を有効に使えたとはとても言えないが、こういう機会は滅多にないから、まあ良しと考える事にしよう。

 追記)この本が出たのは1953年だが、ここに描かれている当時のアメリカ社会の様子は基本的に今と変わらない。経済的強者が支配階級として君臨し、弱者を収奪し蹂躙する。(警察も含めて)権力は腐敗し、メディアは中身の無い広告塔に過ぎず、都合の悪い話は伏せられたまま風化していく・・。

 そんな中、ハードボイルドな生き方が格好良いのは当たり前だが、誰もマーロウの様には生きられないのも確かだろう。次は出たばかりの「さようなら、愛しい人」(旧約は「さらば愛しき人よ」)を読む事にしよう。

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ロング・グッドバイ(村上春樹訳)

 チャンドラーにハマっていたのは、10代後半~20代前半くらいだったろうか?10代前半は、コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」や、エラリー・クイーンの一連の作品「~の謎とか、~の悲劇」に夢中になり、当然アガサ・クリスティなどにも手が伸びたが、10代中盤は、色々辛い事も多く、ミステリというよりは思想、哲学系へシフトした他、SFや古典にも深く入り込んでしまい、乱読・積ん読・乱読というサイクルが常態化していた。

 幸いフィリップ・マーロウに憧れるには、フィジカルが弱すぎたし、メンタルはもっとダメだったから、深入りする事はなかったが、当時「ポパイ」や「月刊プレイボーイ」あたりから流された軽い「アメリカ生活情報」より、チャンドラーが描くロスのダウンタウンの「タフな生活」の方が、私にはリアルに感じられ、何となくアメリカ嫌いになった様な気がする。

 さてだいぶ前に買っていた村上訳の「ロング・グッドバイ」だが、なかなか進まない。遙か昔に読んだ清水俊二訳では、あまり感じなかったのだが、それは単に私が若かったからだろうか?

 勿論読書に作法は無いし、何度も書いてる様に、私自身デビュー以来、村上作品を殆ど読んで来た人間だ。しかし、何となく硬い感じがするし、「読んでいくうちにページを捲る動きが加速する」というミステリならではの疾走感が得られないのは確かなのだ。

 少し時間が出来たので、この数日かなりペースを上げたが、ようやく半分といった所、今はまだコメント出来る段階にないが、例えば、珈琲を淹れる手順や、スーツケースに放り込む物の詳細といった記述が(原著に忠実に訳したが故に)、少し重いのかもしれない。

 取りあえず読み終えたら、旧訳も再読してみる予定だが、仕事も結構あるから、なかなか難しいかもしれないな。

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ぼくたちは大人になる/佐川光晴

 先日「週間ブックレビュー」で紹介された時に「!」ときて即Amazonに注文。届いてすぐ読み始め、一気に読了した。

 まあとにかく面白い。帯には「人はしくじるべきときにしくじれるかどうか」とあるが、社会的にactive過ぎる両親の離婚を機に母と共に湘南に移り住み、優等生でありながら屈折した部分も抱えつつ親からの自立を目指す主人公。ある時起こしたとんでもない行動とその結末を軸に、彼の周囲に現れる様々な人間たちとの交流や、真の意味での「少年の自立」が暖かく描かれている。

 舞台になった高校は作者の出身校がモデルと思われるが、実は先週横浜で行ったプレゼンを前日チェックしてくれた放射線科医S氏がこの高校のOBだったり、後半主人公の志望校として出てくる作者の出身大学が、私の最初の大学だったりしたのも、好印象に繋がってるかもしれない(笑)。

 若い頃は、誰でもちょっとしたきっかけで予想外の行動に出たりするものだが、本当に重要なのはその後の事態収拾と、自己の再構築だろう。特に後者は後の人生にも大きく影響する訳だから、私なんかは今もその後遺症を引き摺ってるかもしれない。

 取りあえずオススメの一作!

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 ※個人的に一番笑ったのは、志望校探しで旅に出た医学部志望の主人公の台詞「北大はともかく、札幌医大や旭川医大ならぎりぎりどうにかなるはずだ」という部分、これは私が30年前に思った事そのものではないか(笑)。

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50歳からちょっと心を休ませる本/加藤諦三

 1938年生まれというから、私より18才上(71才)になる著者。我々の世代の中には60年代中盤~70年代前半、彼の著書に読み耽った人が多いだろう。 

 昔も今も若者というのは旧世代から疎んぜられ、訳分からん存在とされがちだが、彼は「生きていくのは俺たちだ 」とか、「やり抜くために俺がいる」といった分かり易いタイトルで、若者たちにエールを送ってくれた。

 まあ私の様に斜に構えた高校生は、そのストレートな切り口になんとなく違和感を感じて程なく離れてしまったのだが、それでも何冊かはしっかり読んだ記憶がある。

 今回書店でふと手にとってパラッとめくり、そのままレジに持って行ったのだが、基本的にはで脱力系(笑)、所々に昔を彷彿とさせる「熱気」はあるが、決して不快なものではない。

 人によって評価は様々だろうけど、私には心から共感できる内容がいくつかあっただけで、十分価値がある一冊だ。

 パラパラ拾い読みでも(拾い読みの方が?)楽しめるのも嬉しいかな。

50saikara

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漫画すら読まない少年たち?

 チャンネルは忘れたが、時計代わりに点けてる朝のテレビで、少年漫画雑誌の50年を振り返るコーナーがあった。

 私の記憶に残っている最も古い「少年サンデー」は、週刊文春や週刊新潮みたいな綴じ方だったが、小学生になり、小遣いを握りしめて買いに行った「サンデー」や「マガジン」は、既に分厚くなっていた。

 まあ当時は「少年画報」とか「少年」という付録付きの月刊誌?もあり、こうした雑誌とプラモデル、駄菓子などから使い途を決めるのに、何日も悩んだ事など思い出した。

 もうかなり記憶が曖昧だが、サンデーで印象に残っているのは「伊賀の影丸」「おそ松くん」「オバケのQ太郎」「サブマリン707」「天才バカボン」そして最近テレビドラマ化された「銭ゲバ」なんかだし、マガジンは何と言っても「あしたのジョー」「巨人の星」の他、「エイトマン」(作者が拳銃不法所持で逮捕されたのはショックだった)「紫電改のタカ」「タイガーマスク」「ハリスの旋風」「丸出ダメ夫」あたりが浮かんでくる。

 もう一つ少年キングというのがあり、これは今調べてみると「少年画報」の売り上げ減に対抗するため少年画報社が出した週刊漫画雑誌らしく(初めて知った!)、個人的にはオリジナル「サイボーグ009」に強烈な印象を受けた他、「忍者部隊月光」「柔道一直線」あたりを憶えている。

 その後「少年ジャンプ」「少年チャンピオン」が加わり、少年漫画の黄金時代を迎えるのだが、私自身は徐々に漫画離れが進み、いわゆる大人向けのコミック雑誌を喫茶店で読み耽る学生時代まで、長いブランクを置く事になった。

 番組では、こうした少年漫画雑誌の売り上げの落ち込みが激しい原因として、少子化や若者の書籍離れを挙げていたが、私は決してそれだけでは無く、提供されるコンテンツのレベル低下(=優れた作家が育っていない事や、出版社による人気漫画の不定期化=引き延ばし)が大きいのではないかと思う。

 50代になって少年漫画というのもおかしい気がするが、もし良い作品であれば、それで育った我々の世代も楽しめる様な気がする。

 短いコーナーだったけど、その間に随分色んな事が思い出されて楽しかった。

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宿命

 私の平日のオフは、ほぼ音楽、読書、ネット(医学関係の調べ物を含む)で占められている。勿論家事も必要なのだが、二男が去ってからは、ひどい手抜き状態と言えるだろう。

 基本的に乱読傾向であり、特に冬期は読書量が増えるのだが、ごく稀に「読まなきゃ良かった」と思う本もあったりする。

 今回読んでしまったのは「宿命~『よど号』亡命者たちの秘密工作」高沢皓司著(新潮文庫)。

Yodogo

 今を去ること39年、大阪万博開幕で浮かれていた日本全国を震撼させたハイジャック事件の全貌と犯人たちのその後を描いた渾身の一作だが、読了後に襲ってくる何とも言えない虚脱感、鬱々とした気分には、正直予想以上のものがあった。

 勿論受け止め方には個人差があるだろうし、単純に善悪という物差しを当てられる話ではないのだが、強大な権力に蹂躙される個人の存在の軽さ、あくまで「自分で選択した」という形で刷り込まれる「ブレイン・ウォッシング」の恐ろしさ、そしてそれらを統合した支配vs被支配というシステム・・・。

 ここに書かれているのは他国の話だが、どんな国家にもこうしたシステムがあり、そこから外れるものには、何らかの制裁が待っているに違いない。

 前回書いた「神」が精神分析を受けたくなる気持ちが何となく分かる様な気がする.。

 ※小さい頃からの刷り込みで、基本的に「本を捨てる事が出来ない」自分だが、この文庫本は、ゴミ箱に放り込んでしまった。巧妙な拉致、洗脳、おぞましい限りである。

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精神分析を受けに来た神の話

 今日Amazonから届いた一冊。予想通り大変面白く、帰宅後一気に読んでしまった。

 ベテラン精神科医である主人公の診察室を訪れた一人の患者(自称ガブリエル、愛称ゲーブ)、自らを「神」と称し、受診理由は「憂鬱を晴らすため」という。

 いかにもあやしい雰囲気で、主人公も最初は統合失調症や非定型精神障害という診断を考えるが・・・

 ネタバレになると困るのでこれ以上書くのは控えるが、ここで「神」が自らの職業を「建築技師」と書いていて、天地創造=全能ではないという見解を示しているのが面白い。

 自らが創造した人間が神の名において残虐行為を行う事を嘆き、貧困、病気、絶望に追いやられている人間の夥しさに絶望する神・・。

 全てを知る事が出来る故に悩み、苦しみ、人間の邪悪の蔓延にその存在まで脅かされている神の姿は痛々しいが「人間の生活をコントロールする事はないし、その必要はない」と断言する。

 著者は現役の精神科医であり、何となくその姿が主人公とダブるが、基本的に「神の加護を受けた」と自称するアメリカで、この様な著作を出すのは勇気が要ったのではないかと思う。

 興味ある方は是非一読を。

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Esquire (エスクァイア) 日本版が休刊!

 毎月読んでいた訳では無いが、特集の内容により年に何度か買っていた雑誌の一つなので、休刊(廃刊?)は寂しい。

 しかも今月号の特集は「もう一度学校へ行こう/社会人よ新しき”リベラルアーツ”を身に付けよう」というもの。「何でこんな御時世に!」という声があちこちから聞こえて来そうだが、こういう時代だからこそ、打算抜きに「知を満喫する」営みがあっても良いのではないかと思う。

 自らの過去を振り返ってみて思うのは、「若い頃の学びには、必ず何かゴールが設定されていた」という事、中学生には高校受験(今なら中学受験が普通かもしれない)、高校生には大学受験、大卒後は就職という感じで、進むのが普通で、本来リベラル・アーツを身に付けるべき大学1~2年(昔でいう一般教養課程)は、むしろモラトリアムの時期として機能していた学生が多かった気がする。

 まあ私は、全く違う領域の資格を取るため、20代半ばで予備校に通い別な大学を再受験、運良く合格出来た後も6年間の厳しい教育を受けてようやく仕事に就くことが出来た。

 卒業後もずっと忙しく、専門医を取ったり、働きながら何とか学位を取得したりしたが、「楽しむ」なんていう心境をチラッとでも味わえる気分になったのは、この一年位かもしれない。

 しかし学部時代を入れて27年間学んできた医学でようやくこのレベル。今回話題のリベラル・アーツという事になると、とても自信は無い。

 少し検索してみると、リベラル・アーツは自由七科と称され、その上に哲学が君臨するそうだ(だから全ての博士号に”philosophy”がついてるのだろう)。

 そして自由七科とは、文法、修辞学、弁証法(論理学)という三学と算術、天文、幾何、音楽の四科、今の時代には若干違和感も感じるが、やはりこうしたものが揃ってこその「教養」と言えそうだ。

 早速4月号をAmazonに注文したので、届いたら少し時間をかけて、読んでみたいと思う。

 さすがに今の生活を継続しながら「学校に行く」のを実現するのは困難だが、この年になって初めて理解できる事も多いだろうから、”知”のアンテナだけは錆び付かない様に手入れしていきたいものだ。

 それにしてもEsquire (エスクァイア) 日本版は22年続いたのか。ちょうど30才過ぎから読んできた訳だから、休刊の知らせは、まるで古い友人を失うようだ。

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69/村上龍(文春文庫)

 ある時、大学生の息子達からこの小説のタイトルを聞き「?」と思ったのだが、検索したら数年前に映画化されていた様だ。

 何度も書いてる様に、当時13才だった私にとっても1969年は特別な年だったから、軍港の街、佐世保に住み17才だった村上龍にとっては、まさに「人生を決定する一年」だったに違いない。

 初出は1987年、30代半ばになった著者が(おそらく)事実をある程度脚色して描いた当時の高校生の姿は、4つ下の私にもリアルに伝わったものだ。

 今回楽しく読み返してみたが、以前は気付かなかった細かいディテール、特に当時活躍したミュージシャンや、楽曲のタイトルが効果的に使われているあたりが、何とも嬉しかった。

 しかし、バリケード封鎖時に主人公を強烈に罵倒した生徒会書記長に対し「物事を信じやすい、こういう人間が一番危険なのだ」という記述があり、文庫版でこの人物が後に赤軍派に入り、シンガポールで逮捕された事が明かされた点には衝撃を受けた(精油所襲撃事件だろうか?)。

 どんな風に生きようと人生は一度きり、後戻りは出来ない。自己弁護かもしれないが、若い頃に思い切りバカな事をやって来てよかった様な気がする。

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100年インタビュー 池澤夏樹

 いつもの様に適当にテレビのリモコンを押していたら、NHKのBShiで池澤夏樹氏のインタビューに遭遇し、そのままずっと観ていた。

 母は詩人、実父は小説家・詩人として知られる福永武彦という文学の血が濃い彼だが、両親は彼が5才の時に離婚しており(池澤は母の再婚後の姓)、高校生になるまで実父の事は知らなかったそうだ。

 幼い頃から母の影響で、沢山の書を読み、文学に深く傾倒したものの、大学はあえて理系を選び結局中退。翻訳をしたり、ミクロネシアに移住したり、詩集を出すなど様々なフィールドで活動、その後短編小説なども書くようになった。

 この頃実父の死により重圧から解放され、本格的に小説を書くようになった彼は「スティル・ライフ」で1988年度芥川賞を受賞。この作品は私自身リアルタイムで読んだ筈だが、卒試、国試、育児に追われ、研修医生活に突入した時期だったせいか、全く覚えていないのが悲しい。

 その後の彼については、沖縄に長く住んでいた事や、ハワイでのフィールドワーク、開戦前のイラクを訪れたルポ程度の事しか知らなかったが、今回のインタビューで彼が語った様々なメッセージは、(それに同意するかどうかは別にして)深く私の心に響いた。

 この機会にもう一度「スティル・ライフ」を読み直そうと思うが、どちらかというと飽きっぽい私が、インタビューのみで90分という企画に集中できたのは驚きだった。

 何かと問題が多いNHKだが、こういう番組をじっくり観ることができるのは嬉しいな。

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当直の夜に思う

今日は日曜夜の部の当直で現在月曜日午前2過ぎ。先日は荒れ荒れの当直だったが、今日は比較的穏やかである。

 夕方自宅を出る前に準備をしながら思ったのが当直に持参する物の事。最近は格段に寝付きが悪いし、、一度起こされるとなかなか眠れないから、どうしても色んな物を鞄に放り込んでしまう。

 まずノートPC、そういえば大昔は重たいラップトップPC(エプソンで出していたPC98互換機で確かOS+データの3.5FD×2でHDなし)だったのに、今は軽量・高性能の上に外付けポータブルHDは300GBもある(昔のHDは20MB程度で凄い値段だった)。

 次にiPod、昔はカセットウォークマンだったからこれまた凄い差。ウォークマンの頃は本体よりテープが嵩張るので、好きな曲だけを集めたテープを自分で編集していたが、あれはあれで楽しかった。

 そして専門書+あまり堅くない書籍、コンビニおにぎり、ペットボトルのお茶、カップ麺か春雨ヌードル(当直の食事は一般に治療食なので味気ない事が多い)、常備薬を入れたジプロック、携帯電話といった所だが、若い頃はポテチなど袋物のお菓子や、大福とかチョコレートといった甘い物も良く入れたっけ。

 今夜は温かい緑茶を啜りながら「深夜特急」で知られる沢木耕太郎氏の「旅する力・深夜特急ノート」を読みながら、この30年の間に自分が得た物、失った物についてボーッと考えてみたが、沢木氏の様にバスを乗り継いでアジアを横断し、ヨーロッパに向かう様なダイナミックな旅はできなかったものの、天涯孤独で無職だった自分が、取りあえず何とか生き延びてきた過程も、それはそれで一つの厳しい旅だったと思う。

 さて9時からは結構厳しい外来、そろそろ当直室のベッドに潜り込もうか。

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大人買い

 今日から仕事。昨日はJRに乗る前の短い時間、紀伊国屋書店に「初めて」カゴを持って入り、目に付いた本を適当に入れてレジに持って行った。いわゆる「大人買い」というやつだが、合計金額は¥5000以上¥8000未満、文庫本は一冊も無かったから、やはりまだまだ「大人」には遠い様だ(笑)。

 その中にあったのが「<貧乏道>を往く」。発想はユニークだし、肯ける所も多いのだが、書き方が結構キツく、一部繰り返しもある。Amazonのレビューによると数年前に出た前作は好評だった様だが、こちらは通りすがりに手にとってカゴに入れたので、それなりに面白く読むことが出来た。

 ただ少し違和感を感じたのが「仕事の時間を最低限にして好きな事に時間を費やすのが良い事」という作者の価値観、今の私にはもう出来ない事だが「全力で取り組んで時が経つの事さえ忘れて働く」仕事に出会える喜びもあると思うのだけど・・。

Binbodo

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夜/橋本治

 先日「週刊ブックレビュー」で紹介され、勢いでAmazonに頼んでしまった一冊。さっき読了したが、「とんでもない本頼んじゃったな」というのが正直な所だ。

 勿論出来が悪い訳ではなく、自分も含めた男という生き物の内面を様々な角度から暴いているからだ。

 同性愛が絡む最後の一編以外は似たようなフォーマットを取っているが、単に帯にある「男の『性』と『愛』」というレベルに留まらず、存在の根源的な部分まで見せつけられた様な気がしてならない。

 まあ本作の前に私が手に取った橋本作品「『三島由紀夫』とはなにものだったのか」(かなり難解な為途中で挫折)をパラパラ見直してみると、そもそも私の手に負える作品ではなかった事を痛感してる訳だが(笑)

Yoru

 

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「強欲資本主義・ウォール街の自爆/神谷秀樹」

 つい最近読んでみた一冊(文春新書)。大変わかりやすいのだが、内容は実に衝撃的、日頃我々が感じていた疑問や不安はまさに的中した様だ。

 本来脇役である筈の金融が肥大化し、社会の基盤である一次・二次産業を食い物にした結果、アメリカでは中産階級が著しく減少、株式も先物取引も、実体のない無い空売りに終始し、何でも債権化して売りさばいてしまえばあとは野となれ山となれという卑しい連中が富を独占していたのだ。勿論政府の連中も同じ穴の狢、国民をバカにするにも程があるが、それをそっくり真似してきた日本も、同様に惨憺たる状況なのだろう。

 彼らのやり口は、企業を買収し、取りあえずリストラを盛大にやってコストカット、その後その企業や従業員ががどうなろうが知った事ではなく、ただバランスシートを見かけ上改善し、利益は自分たちと株主でほぼ独占してしまう。

 要は寄生虫とか吸血鬼という類が、「勝ち組」と称してのさばっていた訳で、倫理なんていうものは全く無視されていたに違いない。

 幸か不幸かサブプライムローンに端を発して、こういうデタラメな構図は崩壊したが、アメリカの製造業はもはや回復不可能と言われているし、世界の工場と言われた中国もずさんな製品管理や、投資の冷え込みなどで先行きが危ぶまれている。

 今後日本がどうなっていくのか一国民として非常に不安だが、今日発表されたパナソニックによる三洋電機子会社化にあの「ゴールドマン・サックス」が絡んでる様じゃとても楽観できないなぁ。

Goyoku

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 読書の秋?

 遅い夏期休暇後半から体調が徐々に回復してきた事もあり、最近は読書も少し出来る様になった。ここ2年くらいNHK-BSの「週刊ブックレビュー」を録画して飛ばし気味に再生し、面白そうな本を絞ってAmazonに頼むのが楽しみになっていたのだが、最近は「積ん読」ばかりで、ちょっと寂しい状態だった。

 今回読了したのは二週間前くらいに上記番組で紹介された「甘粕正彦・乱心の曠野」(佐野眞一著・新潮社)というノンフィクションだが、亡父、その両親(祖父母)に縁の深い「満州」が描かれている事もあり、465頁というボリュームの割にはサクッと読めた気がする。

 幼い頃父が良く語っていた満鉄「あじあ号」の勇姿、荒涼とした大地に沈む夕陽の美しさ、大陸浪人と言われた素性の知れない人たちの事などが行間から浮かび上がり、馬賊、匪賊といった物騒な活字さえ、滅多に見せる事のなかった父の笑顔に繋がった。

 まあ個人的な感慨は別にして、本書は震災後の戒厳令に紛れて無政府主義者として知られた大杉栄・伊藤野枝と同伴していた男児を虐殺した軍部に犯人の汚名を着せられて服役、軍籍どころか公民権まで失った甘粕正彦憲兵大尉の後半生を関係者の証言や膨大な文書を元に詳細に追った渾身のノンフィクションである。

 そこから見えてくるのは、誰も責任を取らない人間が権力の中枢に居座る日本型組織の致命的欠陥と、それを背景にした癒着、談合、天下りといった腐敗に鋭いメスを入れ、血なまぐさい謀略に明け暮れる日々を送りつつも、反西欧を志し、文字通り「王道楽土」「五族協和」を純粋に実現しようとした純粋な一人の志士の光と影だと思われた。

 それにしても甘粕正彦が満州国の立ち上げに尽力したのは、必ずしも戦略的な目的だけではなく、国土の狭い日本では必要な食糧を維持出来ないという危機感も大きかった様だ。当時はどこも子だくさんだったから、今みたいな少子化が来るなんて想像もしなかった事だろう。

 父が「美しい街、憧れの街」と遠い目で語っていた大連をいつか訪れてみたいと思ったが、検索したらすっかり近代化されちゃったみたいだ(笑)。

Amakasu

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ぼくは散歩と雑学が好きだった/小西康陽

 Amazonのおすすめで見かけ、何となく購入した一冊。彼の音楽とはあまり相性の良くない私だが、多分「聴かず嫌い」という面も大きいのだろう。

 タイトルから「!」と分かる様に、段組や装丁が植草甚一風、こういうのを嫌う人もいるだろうが、中身が面白いし、時代も違うから私は全然気にならない。

 実は最近、彼とは年が近い事、私が札幌市内の高三だった頃、彼はバスで15分くらい離れた同じ学区の高一だった事を知ったが、この本の中にも「70年代中盤の札幌」的キーワードが所々に出てきて、思わず仰け反ったりもした。

 私は映画を殆ど見ないので、映画批評は「ふーん」という感じ。影響を受けた本はかなりかぶっていて意外だったが、音楽に関しては「クリエイター」(彼)と「一般人」(私)の距離の遠さを改めて思い知らされた。ただ「クリエイターである事」を楽しめない時のプレッシャーは相当なものだろうし、自由奔放に見える行動も、実は立ち止まってしまう事への不安なのかもしれない(何の根拠も無いけど)。

 いずれにせよとても興味深い一冊、そして一番共感したのが「アナログレコードをどんどん買いまくる」あたりだけど、彼はやっぱり買い過ぎだろう(笑)。

Sanpo

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ハードな当直~外来を終えて

 多少早めに帰宅。元気を出そうと温泉に行き、熱めの湯にたっぷり浸かった後、久々に観光ゾーンに足を伸ばしてみた。

 随分前に入った事がある喫茶店でのんびり村上春樹の「東京奇譚集」(文庫版)など読んでみたが、以前はネルドリップで本格的な珈琲を淹れていた店も、エスプレッソマシンに変わっていてちょっと寂しかった。

 それでも随分良い気分転換が出来、帰宅後いつもより重めの夕食を摂り、奇譚集の最初にタイトルが出てくるJ.J.Johnsonの「Dial J .J.5」(1957年)を聴きながら、のんびり最後まで読んでしまった。

 思えばこの短編集、単行本が出た頃はひどく酷評されており、東京関係の「奇譚」の中には洒落にならないくらい怖い物もあるから、何となく敬遠していた。

 今読んでみると、別にそれ程怖い訳ではないのだが、あの頃の酷評は一体何だったんだろう、と不思議な気持ちになる。

 まあ自分はほぼリアルタイムで村上作品を読んできたし、気が進まない作品はスルーしてきたから、作品の解釈は読者に任せれば良いだろうに。

 それにしてもこの「Dial J .J.5」、今日の気分にピッタリだ。

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久々に買ったLapita

 40代前半~中盤頃、良く読んでいたのが「ラピタ」という雑誌。「サライ」にはまだ少し早すぎた事や、特集が自分に嗜好に合っていたのが理由だったが、例のチョイワル系の流行でこの雑誌もかなり迷走、リニューアル後は殆ど読んでいなかった。

 まあ表紙の男性にシンパシーを感じないというのも大きな理由(僻み?)だが、実は自分の年齢が雑誌のターゲットから離れつつあったという点が多分一番大きいのだろう。

 しかし今回の特集は「LP盤をもう一度!!」というもので、個人的にiPodで20000曲を達成したらアナログ方面へ大きく方針変更しようと企んでいる私にはちょっと気になる内容、さっそく通りがかりの書店で購入してみた。

 帰宅してパラパラめくってみたが、以前LPを1000枚以上持っていた自分としては「んな事は分かってる」という部分も多いのだが、昔と違って需要と供給のバランスが不安定で中古盤に頼らざるを得ない事、お金だけでなく多大な時間を要する事などを考慮すると、すぐに「Go!」とは言えない状況と思われる。

 疎開中のアナログ盤は約300枚、それだけでも良いのかもしれないが、やはり少しずつお気に入りの盤も揃えようと考えるとかなり迷ってしまう。

 iPod(160GB)20000曲まであと1904曲、今のペースだと達成まで1年以上はかかるだろうから、それまでに欲しいアナログ盤が手に入らなくなるかもしれない・・・。

 ただ記事の中で松任谷正隆による「アナログ盤だとシンセの銘柄が分かるね、ここはオーバーハイムで、このsequenceはプロフィットだ」という発言あたり、元バンド小僧の私には「もーたまらん」感じなのだが、やっぱり夢のままにしておく方が現実的かな(笑)。

 取りあえず春になったらささやかなプレーヤーを年上の義弟(アナログの鬼、神?)から譲って貰い、疎開中の盤を少しずつ楽しむくらいにしておこう。

 あと私の音楽道楽はよく批判されるが、酒代、煙草代を考えれば余裕でお釣りが来る。運動不足になる以外健康にも悪くないだろうから、老後の楽しみとして是非お勧めしたい。

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MICHELIN GUIDE東京 2008

 あっという間に初版を売り切り、現在増刷中らしい。掲載された店は、電話の応対に追われ、予約は来年まで一杯、経営という点では良いのかも知れないが、そういう状態で「今まで通り」の仕事をするのは、さぞかし大変だと思われる。

 ただ飲食店の場合は席数が決まっているから、一日に来るお客さんをコントロールできるし、定休日なども厳守すれば、スタッフにかかる負担はそれ程増えなくて済む。

 人の噂も75日という様にいずれブームは落ち着くから、それまで何とか「味と接客」を維持できれば良いのだろう。

 このブログでは、以前から「病院ミシュラン」というネタを冗談として使っているが、もし医療機関に☆が付いて紹介される様な事になったら大変だ。

 まず一日あたりの人数を決めるのが難しいから、初診を完全予約にしても、朝から夜までずっと診療をしなければならない。かかりつけのDrから紹介状を持ってきてくれれば良いが、そうでないケースでは再検査など無駄な作業も絡んで来よう。

 それに☆が付くような病院には既に多数の患者さんが通院しているから、医師一人あたりの労働量は二次関数的に増大し、やがて体調を崩したり、退職を考える医師も出てくると予想される。

 世間ではあまり認識されていないかもしれないが、病院の評価の多くは「人」で決まる。先端医療機器を備え、アメニティを整え、表面的な接遇にいくら力を入れても、そこに心がこもっていなければすぐに化けの皮が剥がれてしまう。

 その中でも医師のスキルとマインドはかなり大きな要素であり、ここが損なわれるとスタッフの士気も下がるし、院内の空気が澱んで来る事すら珍しくない。

 という訳で、もし「病院ミシュラン」が世に出たら、あちこちでパニックが起きるだろう。ただ今回も噂されてる様に、「取材拒否」「掲載拒否」をした店もあった様だから、病院も同じかも。

 まあそれじゃ意味無いんだけど、頻回にメディアに露出してあれこれ言ってる医師の多くは、業界内では×××だったりするから、ガイドブックはあくまでも目安と考えた方がよさそうだ。

 ま、自分には全く関係ない話だけどね(笑)。

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すっかり陽が短くなった休日

 当直明けでずるずると帰宅し、冷蔵庫の残り物で適当に腹を満たし、ソファに寝ころんだら意識消失。目を開けたらもう外は暗く16時を回っていた。ストーブを焚いているのに体は冷たくなっており、せっかく風邪が治りかけだったのに、これじゃまたぶり返すかもしれない。

 取りあえず一昨日の珈琲に牛乳をたっぷり入れたカフェオレで暖を取り、ふと思い立って久しぶりにマランツのアンプの電源を入れた。まあマランツといっても、下から2番目くらいの普及品、CDプレーヤーはトレイに置いたディスクを栓みたいなもので固定し、分厚いガラスの蓋を閉めて使うアナログ感覚のものでこれもマランツ、そしてスピーカーは専用台を付けたボーズの55WERである。
 
 ちょうど村上春樹の「羊をめぐる冒険」を久しぶりに読んでいたので、ドアーズ、ストーンズ、バーズ、ディープ・パープル、ムーディー・ブルーズ(文庫版p12。「村上春樹にご用心」・内田樹・p86参照)でも聴こうかと思ったが、前作(1973年のピンボール)に敬意を表して、トレイに置きっぱなしだった「ラバーソウル」をそのままかける事にした。

 「羊をめぐる冒険」は初期三部作の〆となる作品で、最初に読んだ時はかなり違和感が強かった。しかしその後の作品を読んでから読み直すとスッと馴染む様になり、今回も色々楽しみながら読み進めている。

 いつのまにか「ラバーソウル」が終わったので、今は最近細野晴臣が推薦していたライ・クーダーの近作「My Name Is Buddy」を聴いている。カフェオレは既に冷めており、普段ならそろそろ夕食の準備だが、AO入試を受けに行った二男は試験終了後札幌の家で寛いでるから、今日は何もしなくて良いのだ。

 せっかくの休日がこんな風に過ぎていくのは勿体ない様な気もするが、今は身体を休めるのが最優先だろう。

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鮨に生きる男たち

 19日に発表された「ミシュランガイド」東京版」、何と2つの寿司店に三つ星が付いた事が大きな話題になっている。

 私自身高級寿司店など全く無縁、皿が回らない寿司店に行くのは年に2~3回あれば多い方だが、「プロの仕事」という面で興味があり、最近購入した文庫本でこの二店が紹介されていて驚いた。

 しかもこの二店、親方は師弟関係にあり、そのあたりの詳しいいきさつもこの本を読むと良く分かる。

 まあ詳しくは読んでいただくのが一番だが、この本を読んでいくに従って「プロが教える仕事の奥義」みたいなものが伝わってくる様な気がするのは私だけだろうか?

 一つはまず基礎をしっかりやって一定水準を確実にキープする。しかる後にある程度のチャレンジも試みる。そして自らのキャラを強調せずとも、普通の事を普通にやって客を唸らせる・・・。

 こういう親方たちには色々面白いエピソードがあり、例えば「お金は不幸から自分を守ってくれるが、沢山あっても幸せになれる訳じゃない」という名言を吐いたり、某大企業のの秘書課から来た「うちの役員がお宅の寿司を食べたいので勘定は会社の方に」という話にキレて「はじめてのお客様にはツケは致しません」と敢然と断ったり、「ネタは良い物から先に使います。大事に取っておいても残る時は残るんですから」という真っ当だけどなかなか思い切れないポリシーを持っていたり、とにかく人間としてホンモノのオーラが出ていて、読む方も思わず身が引き締まるのである。

 最近は何だか日々コツコツ精進しても格好悪いし報われない世の中になりつつあるようでちょっと寂しいが、自分はプロの端くれで居られる様に、何とかやっていきたいものだと思う。

 でもそのうち病院ミシュランも出来るかも(笑)。

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 追記)上記の店に関して「常連客と一見客の差別がひどく、味も以前ほどではない」という話があちこちから出ていた。私はこの文庫本を読んで感想を述べただけで実態は知らないが、やはり「常連客贔屓」というのは絶対良くないと思う。

 業種が違うので一緒には出来ないが、医療機関の場合、初診の方は不安と緊張でsensitiveになっている事が多く、我々はまず「挨拶」と「笑顔」でお迎えする様心がけている。勿論空いてる時などに長年通院している患者さんと地元言葉で雑談する事もあるが、それはあくまで診察室(待合いスペースとは完全に遮断)内だけであり、新患の方に不快な思いをさせない様配慮している。

 まあ何にせよ親しければ親しいなりにきちんと節度を保って付き合わないとダメなんだろうな。

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「文学は世界を旅する」(Esquire12月号)

 最近低俗さとあざとさ、そして大量のCMに参ってしまい、ソファに寝転がってダラダラテレビを観る時間がほぼ消滅しつつある。勿論何か積極的なアクションを起こす元気すらない時は別だが、そうでなければ音楽を聴きつつ読書に耽るという若い頃のスタイルに戻る事が多い。

 昔はレコードだったので、20分程度で盤をひっくり返したり入れ換えたりする必要があったが、今や音楽はiPodによる16526曲シャッフル、本の方も多少の大人買いは可能になったから、新書や文庫の比率が高いにせよ、ある程度の乱読は可能である。

 そんな最近、郊外型書店でふと目に付いたのがEsquire12月号、小説や紀行など主に旅に関するテクストを美しい写真と共に紹介し、作家が選ぶ旅の本155といった定番の企画で締めている。まあ月並みといえばそれまでなのだが、旅をしたくてもなかなか時間が取れず、もっぱら機内から雲海を見るのが関の山というおぢさんには、時間だけは嫌と言うほどあった若い頃など思い出され、結構楽しかったりするのだ。

 そういえば20代の頃、250ccのオフロードバイクで数日間旅をした事があった。フェリーで八戸に入り、台風が近づく東北を南下して東京の友人宅で一息、その後信州を回り、一人用テントに寝て美しい星空を眺めたり、ちょっとした林道に入り込んだりして、仙台からまたフェリーで戻ったっけ。

 もうあんな旅は出来ないだろうけど、来年もまた「ささやかな汽車旅」程度は実行したいものだ。

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風の歌を聴け/村上春樹

 最近はなかなか本をじっくり読む時間が無く、せっかく購入した内田センセの「村上春樹にご用心」も拾い読みの様になってしまう。まあ常時持ち歩けば良いのだろうが、ちょっと嵩張るし、万一無くしたら困るから、家でゆっくり読むのが良さそうだ。

 村上春樹との出会いは多分80年代前半、2つ目の大学に入り直したのが82年で81年はオッサン予備校生としてほぼ勉強に明け暮れていたから、多分単行本を買ったのは82年以降で、処女作より先に2作目「1973年のピンボール」を読んだと思う。

 その後ハードカバーはどっかに行ってしまい、文庫になった「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」をそれこそ何度も買ったのだが、友人、知人、息子たちなどに回ってしまい常に在庫切れ(笑)、今回の出張時に通りがかった書店で「風の歌を聴け」を購入してみた(「1973年のピンボール」は品切れ)。

 四半世紀の間に数え切れないくらい読んだが、何度読んでも飽きる事がないし、その度に印象が違う。もしかすると私の脳は、村上春樹が描く「我々が共有している欠落」を上手く受け止める事が出来ず、その為に色んな所にはじき飛ばされてしまってるだけかもしれないが。

 ただ確実に言えるのは、この処女作を含む初期三部作が恐るべき時間的・空間的多様性と常に変化するある種の連関を持っており、それがその後の作品群においても重要な骨格になっている、という事だろうか。

 今回は細部にも注意しつつじっくり読んでみたが、今まで何気なくスルーしていた部分が、実は重要なキーワードだったり、何気なく使われている小道具も、すべて何らかの含みと共にそこに配置されている事が、少しだけ分かった様な気がする。

 なぜ事故ったクルマがフィアット600だったのか、なぜ唐突にビーチ・ボーイズの「カリフォルニア・ガールズ」の歌詞が挿入されているのか、なぜ長期療養中の女の子が普段はチャラチャラしたDJにリクエストした曲がプレスリーの「グッド・ラック・チャーム」なのか・・・。

 考えていけばキリがないが、当時の村上春樹がそれらのディティールにかなりこだわって執筆したのは間違いない訳で、そのあたりを考えるとやはり「凄いなあ」と唸ってしまう。

 という訳で、50代は基本に戻ってテレビはニュースくらいに留め、音楽、読書、映画、珈琲、料理、鉄道旅などをじっくり楽しみつつ、仕事の方も頑張りたいと思ったりする。

 次は途中で投げ出してしまった「ノルウェイの森」に挑戦してみるかな。

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何気なく書店を歩いていると

 時々ハッとする事がある。それは視野に入ってきた何かを無意識のうちに認識した脳の反応なのだが、今回のキーワードは「70年代ロック」+「ベスト100」だったらしい。

 そこに平積みになっていたのは予想通り?「レコード・コレクターズ」、以前から時々買っていた雑誌だが、最近は手に取る事もあまりなかった。

 表紙を良く見ると、スライ&ファミリー・ストーンの「暴動」?、リトル・フィートの「ディキシー・チキン」、「チューブラー・ベルズ」、「ドクター・ジョン」、「いとしのレイラ」「アトム・ハート・マザー」(ピンク・フロイド)、セックス・ピストルズのデビュー盤、それにジャクソン・ブラウンの「レイト・フォー・ザ・スカイ」などのジャケット・イラストに若き日のエルヴィス・コステロやパティ・スミス」があしらわれており、これらも通りがかりの私の視野に何らかの刺激を与えたものと推測される。

 早速レジに持って行き帰宅してパラパラめくってみたが、「とにかく懐かしい!」という気持ちと「今もしょっちゅう聴いとるワイ!」という頑固ジジィみたいな感情が交錯して複雑な気分。ちなみに上位100枚中、現在私が持っているのは43枚であった。

 よく10年前は陳腐、20年前は凡庸、30年前はクール!なんて言われる様に、30才以上離れた我が家の息子たちも70年代ロックは結構好きみたいだから、案外若い人たちにもウケているのかもしれない。

 私にとっての70年代は14~24才というまさに青春時代!聴き損ねたアルバムがあったら、Amazonあたりで探してみる事にしよう。

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出張先で読む村上春樹

 ふだんから仕事だけでなく個人的な作業も含めてPCへの依存度が高い私、二泊以上の出張には大抵PCを持参しているのだが、今回はプレゼンが無い事もあり、家に置いて出発した。

 元々アナログ派で基本的には「気に入ったノートと書き味の良いペンこそ最上のツール」と思っているのだが、情けない事に字が汚くて自分でも判読できない上に最近は「文字忘れ」が激しい事からついついちょうど1年前に買った小さなPCを持って行ってしまうのだ。

 という訳で移動中や夜間など時間がたっぷりある時には読書をする事にした。今回はまず空港で「水曜の朝午前三時」の文庫を買い、待合室~機内も読みっぱなし(ベルト着用サインが消えた後はiPodで静かに音楽を聴きながら読んだが、これも快感!)。途中読了の目途がついたので書店に寄り、何となく村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」(文庫上下)を買ってホテルにチェック・インした。

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 実は今まで、こういう名曲のタイトルが付いた小説は何となく手を出しにくかった。勿論「水曜の朝午前三時」のは内容はS&Gの名曲とはかぶってないし、「ダンス・ダンス・ダンス」も(村上春樹は)ビーチボーイズではなく、某黒人グループの同名曲から取ったとコメントしている。しかし彼には「ノルウェイの森」という作品もある訳で、無人島に持って行くなら「ラバー・ソウル」が最有力候補という私にはちょっとそれをスッと受け入れがたい気持ちもあったりする。

 「ダンス・ダンス・ダンス」は彼の作品をある時期までリアルタイムで読んでいた私が愛する初期三部作の続編なので勿論20年近く前に読んではいるのだが、このトシになって読み返すとまたまた新鮮な気持ちで感じるものがあり、結局その後も書店に寄っては「回転木馬のデッド・ヒート」「スプートニクの恋人」「アフターダーク」なんかを次々買っては読み耽ってしまったのだから不思議なものだ。

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 仕事と主夫業で過労気味の上に出張も多く、意欲の減退や老眼から遠ざかっていた読書だけど、やっぱり上手に時間をやりくりすれば、もっと沢山読めるんだろうな。

 村上春樹の作品ではないが、個人的体験と微妙にリンクしている「水曜の朝午前三時」は二回も読んでしまった事だし、これからはPCの代わりに文庫本と老眼鏡を持って出張に行く事にしよう。

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哀愁的東京/重松清

 札幌駅前の紀伊国屋で平積みになっていた文庫新刊の中から何気なく手に取った一冊、彼の著作は何冊か読んでいるが、「哀愁的東京」というフレーズが確実に私の急所を突いたんだろう。

 絵本が書けなくなった絵本作家(現フリーライター)を軸に展開される、いかにも都会らしいエピソードの数々、破滅寸前のIT社長、閉園が決まり解雇されたのに手弁当で遊園地にやってくるピエロ、オーラを失い世間から忘れられつつあるかつてのアイドル歌手など、様々な登場人物が出てくるが、後書きによれば「まず『哀愁的東京』というタイトルありき」だったそうで、このタイトルへの著者の思いも、高校生の頃まで遡るというから驚く。

 まあ著者自身がフリーライターとして活動していたそうだし、大都会東京にはそれこそ星の数ほどネタがあるだろうから、その断片を丹念に拾いつつじっくり書き進めて来た結果の一つが、多分これなのだろう。

 ただ軸になる絵本作家は40才という設定、既に50才となった私には、40才というのは眩しいほど若く見えるが(笑)、この本の読者層は多分私よりかなり年下なんだろう。

 40才と50才の違いを端的に言うのは難しいが、あえて単純化してしまうと、まだ持ち時間があり、気力や体力の衰えもそれほど顕著でないから40才の方が苦しいという事だろうか。50才になれば簡単にスルーできる事が、40才だと難しかったりするし、ひとたびダメージを受けた時の傷つき方も年々鈍くなってきたりもするのだから(笑)。

 全ての人にお勧めできる本ではないが、自分としては読後感は悪くなかった。少し的外れかもしれないけど、フリーライターの仕事は医者に似ている気がする。医者の仕事の基本は「自分を表に出さずに診療を完結させる」事であり、大抵の場合は「別に自分である必要はない」のだから、無署名で仕事をするという点で共感をおぼえるのかもしれない。

 もう少ししたらパラパラと読み返してみようかと思っている。

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新年初購入の書籍

 2日夜は当直だったので、忙しいとは思いつつも合間に眺める本を物色しに郊外型書店に寄ってみた。

 以前は「どうしたら若い女性にモテるか?」という内容が多かったおぢさん向け雑誌は最近「老いを居直る」スタンスへ転換しつつある気がしてイマイチ触手が動かず、ふと私を呼ぶ本がある様な気がして立ち止まったら「JR特急列車年鑑2007」だった(笑)。

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 以前はお見合いで「趣味は鉄道です」などと言ったら即刻破談になりそうなポジションにいた「鉄」だが、最近は女性にも結構理解者、愛好者が出てきてくれた様で何とも嬉しい。まあ私は幼稚園から時刻表を耽読し、暇さえあれば線路脇に立って列車ウォチングをしていたのが最初で、それ以後そんなに濃い「鉄」ではないから、世間から白い目で見られた事は殆ど無かったのだが・・。

 昨夜は結局殆ど本を開く暇がなかったので、さっきからパラパラめくっているのだが、やはり一番の心残りは「はまかぜ」で小さい頃から憧れていた餘部鉄橋を渡れなかった事だろうか。以前は東京発の寝台特急「出雲」に乗って早朝渡るのが夢だったが、山陰線回りの「出雲」は昨年春廃止され、岡山回りの「サンライズ出雲」(サンライズ瀬戸と併結)だけが残されたので、現在餘部鉄橋を通る優等列車は確か「はまかぜ」だけなのだ。

 今春までにまとまった休みが取れる目途は立たないし、例によって廃止が近くなると乗車率が急激に上昇するから、諦めるしかないなぁ。

 こんな事を考えつつ、定番のJTB時刻表をあちこち開いて「茶の間で旅気分」を味わうのも正月らしくて結構楽しいものだ。

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 そういえば一回「字の大きな時刻表」というのを買ったが情報量が少なすぎて私には用が足りなかった。やはり老眼鏡を必須であってもこの定番時刻表が一番なのである。

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たまには読書

 当直を夾み外来2コマ+検査・病棟、救急車数台+ICU入室2名という荒れ模様の32時間勤務を終え、スーパーで買い物をして帰宅。塾へ行く二男に味噌ラーメンを食べさせて送り出した後、ソファーに転がって日本シリーズをBGMに珍しく本を読んでいた。

 タイトルは「ボトルネック/米澤穂信」(新潮社)、帯には「若さとはかくも冷徹に痛ましい」とあるが、ネットで見かけたレビューに惹かれAmazonに頼んでいたのである。

 亡くなった恋人を弔う為に訪れた東尋坊で崖下に吸い寄せられ、気付いた所は「自分が生まれなかった世界」という言わばパラレルワールドものだが、流産した筈の姉が元気に生きていてディテールが微妙に違った世界を彷徨いつつ元の世界へ戻ろうともがく主人公。

 さすがに50才のおぢさんが感情移入できる話ではなかったが、先月学会で訪れた金沢の街の様子など多少リアリティを感じられる部分もあり、後半は予想通りの展開でサクッと読み終えた。

 ふと浮かんだのが「青春・朱夏・白秋・玄冬」という言葉、既に白秋も半ば?の私には生き惑うこの小説の主人公がなぜか息子達とかぶってしまう・・・。

 さて現実に戻って洗濯物を干し、食洗機でも回そう。日本シリーズは稲葉の決定的な3ランで日ハム勝利!駒苫といい日ハムといい「北海道でもやれば出来る」気運を盛り上げて欲しいものだ。

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刺さる言葉/日垣隆

 書店の新書コーナーを通りかかって見つけた一冊、この著者の本は多分2冊くらい読んだが、やはり「かゆい所に手が届く」秀逸な記述が魅力だろう。

 この本でも随所にウィットとユーモアを交えつつ、今我々が生きている社会の脆弱さ、アナーキーさが的確に表現されており、苦笑しつつも心の隅に何かが残る様に仕掛けられている様な気がする。

 まあ今回総理が変わる訳だが、多分この国はネオコンあたりの影響でどんどん右向きに旋回し、東アジアが一気に緊張、我々の血税がハイテク兵器購入に使われる様になるのだろう(勿論その一部は政治家や官僚にキャッシュバック)。その一方で利権に乏しい田舎の自治体はどんどん破産、旧ソ連崩壊時の様に、給料が出なくなった公務員が家庭菜園で作った野菜を売ったり、治安の悪化で暴力や犯罪が蔓延する世の中になるのかもしれない。

 ま、あんまり深く考えても落ち込むだけだから、せめて投票に行くくらいの事は守っておこう。もっとも「自分が政治家であり続ける事にしか興味がない」連中ばかりだと、誰に入れても大して変わりは無いのが問題なんだけど。

 パラパラとめくるだけで楽しめる一冊、オススメ。

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からみ隊(辛口ミシュラン探検隊)

 かなり前になるが確か週刊朝日で「恨ミシュラン」という企画があった。西原理恵子と神足裕司が、いわゆる名店を一見さんとして訪れ、極めて厳しくぶった斬る内容だったが、その小気味よい斬り方が、とても印象的だった。

 今回月刊「おとなの週末」(何ちゅうタイトルだ)のスタッフが、恨ミシュランのその後を追ったのがこの本、書店で立ち読みしているうちについついのめり込んで買ってしまった。

 普段大したものは食べてないし、ソースをぶっかけたコロッケをパンに夾んで食べたり、豚カツならぬハムカツが御馳走だった昭和30年代前半生まれ(笑)には、そもそもグルメなんて無関係なのだが、美味しい食べ物の話になるとなぜかマジになるから不思議である。

 まだ半分くらいしか読んでないが、要は「名店になっちゃイカン」という事なのかなと思う。メディアで褒められれば客が増える。客が増えれば従業員を増やさなきゃならないし、銀行に勧められて支店を出したりするから、当初のコンセプトが薄れ凡庸な店になってしまう。どんなに優れた料理人でも(というか優れていればいるほど)短期間に自分の代わりが務まる人間を育てるのは不可能だから、すぐにレベルが落ちてくる・・・。

 業種が違うとはいえ色々考えさせられる事が多いが、一番ダメなのは「店主が有名人との関わりを自慢する」っていうあたりかな。サービス業の基本はやはり「お客さんを差別しない」という事だし、常連やいわゆる上客の方ばかり向いていたら、腕も品性もどんどん落ちていってしまうだろう。

 どんな仕事でも適度な緊張感は必要である。そしてそれを日々維持していけば、そうそう道から外れる事もない様に思う。

 甘いかな?

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オトナ語の謎

 先日出張の時に適当に選んだ文庫本、糸井重里はなぜかあまり好みじゃないけど、この手の本はやっぱり良く出来ていると思う。

 まず基本用語編、私のいる業界はちょっと特殊ではあるが、「お世話になっております」は定番だし、「午後イチ」「たたき台」「雛形」「物理的」「いっぱいいっぱい」なんかもしばしば使う。逆に「客単価」「費用対効果」なんかはまず聞かない訳で、これからもそういう言葉を使わずに済む世の中であって欲しいものだ。

 続くカタカナ編では「コンセンサス」「プライオリティ」「オファー」「ペンディング」あたりは思い当たるものの、実際の仕事に出てくるのは殆ど意味をなさない「ドイツ語由来の隠語」ばかりだ。

 他にもオフィス編、交渉編、シリーズ編、その他編と続き、後半はさすがにダレて来るが、読みながら「あるある」「そうそう」と同意できる部分が多いし、そうした言葉を口癖にしている具体的な人物が思い浮かんだりするから、出張時にサラッと読むにはちょうど良い。

 ま、うまく乗せられてるだけなのかもしれないけど(笑)。

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意味がなければスイングはない/村上春樹

 もはや何を書いてもベストセラーといった感じで海外でも高い評価を受けている村上春樹だが、これは以前「ステレオサウンド」というオーディオ専門誌に掲載された記事をまとめたものである。タイトルは勿論「スイングしなけりゃ意味がない」をひっくり返したものだが、ここで扱われている内容はジャズだけではない。

 帯には「月が消え、恋人に去られ、犬に笑われても、なにがあろうと音楽だけはなくすわけにはいかない」という悲愴感漂うコピーが付いているが、私の様な音楽バカは思わず深く頷いてしまったりする。

 本書で扱われているのはシダー・ウォルトン、ブライアン・ウィルソン、スタン・ゲッツ、ブルース・スプリングスティーン、ウィントン・マルサリス、スガシカオ、ウディ・ガスリー、そしてクラシック関係は「シューベルトのピアノソナタ第17番」「ゼルキンとルービンシュタイン」「日曜朝のプーランク」の計10編。一見バラバラな組合せだが、彼なりの切り口で並べられるとあまり違和感を感じないのはさすがなのか、こっちが単純なのか(笑)。

 全編面白いが、やはり一番グッと来たのはブライアン・ウィルソンである。村上氏はここで「Sun Flower」「Surf's Up」という割合地味なアルバムに焦点を当て、「当時のビーチボーイズの苦闘」とリアルタイムで聴いていた筈の彼が「なぜ当時これらのアルバムを視野に入れることができなかったのか」について、2002年ホノルルマラソン前夜祭の描写(ブライアンはそこでコンサートを行った)をうまく折り込んで解説している。

 2人の弟の死を乗り越え、ドラッグを止めてリハビリに励み奇蹟の復活を果たしたブライアンだが、最後のパラグラフの一節「彼はこの曲を歌う事によって、死者たちを鎮魂し、彼自身の失われた歳月を静かに弔っている様に見える。裏切った者たちを許し、すべての運命をあるがままに受け入れているようにように見える」というあたりで私も少しジーンと来たし、最後の「少なくとも我々は生き延びているし、鎮魂すべきものをいくつか、自分たちの中に抱えているのだ」では思わず涙ぐんでしまった。

 ちなみにこれを読んでAmazonにシダー・ウォルトンの旧譜をオーダーしたら品切れだった。村上春樹恐るべし!

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女たちよ/伊丹十三(新潮文庫)

 最近出張中に空港かどっかの書店で購入した文庫。初めて読んだのは確か中三の時(1970年)、勿論自分で買ったものではなく、母が読んでいた単行本(1968年)を借りたのだ。

 いわゆる蘊蓄ものの走りの様なこの本だが、今では当たり前の、例えば「パスタはアル・デンテで」、「ロースト・ビーフにはホース・ラディッシュ・ソース」、「カマンベール・チーズは放射状に切る」といった食べ物ネタから入り、和製英語の不思議、デートのマナー、オーディオ・マニア批判、英国車の楽しみなど、今でも雑誌の特集に使えそうな話題が満載されている。

 これを読んだのは人生で一番感受性の強い時期、そして当時は社宅とはいえ自由が丘と田園調布の間あたりに住み、通りの向こうのパン屋が朝焼くクロワッサンの香りをかぎながら納豆御飯を食べるという生活をしていたのだからたまらない。一気に部分的にスノッブだけどまるっきりイケてない中坊になってしまい、「温かい料理は温めた皿で」とか「ドレッシングが自家製が一番」などとほざいて母親に大笑いされてしまった。

 まあそのすぐ後、親の転勤や受験の失敗とかで北国に逃れ、すっかりダメ系路線を爆走してしまう私なのだが、ここに書かれている内容は今でも十分楽しめる。一番好きなのは「金がかかる話」、寿司屋に顔が利くまで通い詰めておにぎりを握って貰い、沢庵をつまみながら「こうなるまでには随分お金を使ったんだよ」と心の中でつぶやいて満足するというしょうもない話だが、何だかずっと心に残るのだ。

 追加)当時目黒通りあたりに「シェル・ガーデン」という輸入食品なんかを普通に売っているスーパーがあり、我が家でも青山の紀ノ国屋を時々利用していたから、ここに書かれている事がスッと入ってしまったのだろう。学生運動なんかも盛んで新宿あたりは相当騒がしかったけど、あの頃の東京が何だかとても懐かしい。

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旅に持っていく本!全263冊

 今どきの雑誌編集者はとても大変だと思う。毎回それなりの企画を立ち上げ、他誌より目を引くコピーを考えなければならない。昔と違って雑誌の賞味期限も短めだから、下手すれば編集部そのものが消滅する事だってある。まあ元々バリバリの文系だった私としては、そういう世界にちょっと憧れたりもするのだが、やはり自分にはとても無理だろう。

 今回書店でふっと飛び込んできたのがタイトルのコピー、雑誌は若い頃よく読んでいた「ブルータス」だが、一時の建築お洒落路線から少し昔に回帰した様な感じだ。そもそも「『ポパイ』読者が大人になってきたから」という事で発刊された「ブルータス」、当時の読者は今大体50代、随分息が長い事に感心させられる。

 内容は予想通り。私の知っている人はあまり出ていなかったし、なじみ深い本も思ったより少なかった。旅という非日常的空間でどんな本を選ぶか、というのはその人の内面を非常によく反映すると思うのだが、予定していた夏休みさえ消えてしまった私としては、旅先で本を読むという行為そのものに強く憧れを感じてしまう。

 あ~とっておきの本数冊と10000曲入りのiPodをバッグに入れて、ゆっくりどこかへ行きたいなぁ。

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丸善の凋落?

 今日の報道によると1872年に出来た老舗、梶井基次郎の「檸檬」にも出てくる丸善京都河原町店がこの10日に閉店するという。先日札幌に行った時、札幌の南一条店の閉店を知って驚いた私だが、調べてみると今年8月丸善は経済産業省から産業再生法の認定を受けていた。

 丸善の経営悪化の原因として第一に挙げられていたのは、国立大の独立行政法人化による学術書の買い控え。勿論それが全てではないだろうが、結局2005年3月期には24億円の赤字を出し、不採算店舗の閉鎖と早期退職制度の導入が進められている様だ。

 確かに自分も医学書(主に洋書)を丸善で買った記憶はここ数年全く無い。わざわざ店舗に足を運んで書棚を探すより、学会場の展示であたりを付けてアマゾンで注文した方が遙かに楽で安いからだ。しかも一般的な情報収集はネット上で足りてしまう事が多くなり、洋書を買う機会そのものが減ってきている。丸善には長年お世話になったし結構愛着もあるのだが、読書人口が減少し、売れ筋以外では儲けが出ない出版業界の事情などを考えると、これも時の流れなのかもしれない。

 ただ驚いたのは、丸善と入れ替わる様に至近距離にジュンク堂の大型店がオープンするという事。大手書店も品揃えだけでなく、かなり綿密な経営戦略を持たないと生き残れない時代に突入したという証拠なんだろう。何だか考えさせられる話だ。

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さおだけ屋はなぜ潰れないのか?

 もうずっと昔になるが、会計学の講義を受けた事がある。当然の事ながらさっぱり分からず、試験前にせっせと友人のノートを丸暗記し何とか単位だけは取った記憶があるが、もしかすると落としたのかもしれない(取りあえず卒業できたから良いのだ)。

 そんな私でもこの本は面白かった。というかこのタイトルが非常に秀逸である。誰もが「あんな風に軽トラで回って一体一日どれくらいの稼ぎがあるのだろう?」と思う訳で、そのツボをスッとついて来るあたりが何とも凄い。著者は若い公認会計士で出身は商学部ではなく文学部史学科、会計学への目覚めはバイトで行っていた塾のボスだというのもちょっと変わっている。

 内容の方は必ずしも全てが素晴らしいとは言い難いが、「会計」という部外者には掴み所のない世界を、身近な実例を挙げながら簡潔に説明してくれている点は非常にありがたい。特に会計士は「数字の鬼」ではなく、「数字の向こう側にあるものを的確に読みとって評価し、総合的に判断を下す仕事」だというあたりで親近感を感じた。 

 自分ももう少し数字とその数字が持つ意味を意識して仕事しなければダメなんだろうな。
ongaku0006

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オニババ化する女たち

 去年の秋頃だったか、今や迷える中高年男性の灯台的存在である内田樹先生のブログで紹介されていた一冊。今日の昼食後一気に読了したのだが、感想を整理して表現するのは難しいので、コメント的に少しだけアップしたい。

 まず全編を通じてのテーマは、性差による差別、不利益を解消しようとして戦ってきた女性が、結果として「女性としての身体性」を喪失している現実への警鐘という所だろうか。ともすればnegativeな文脈で語られがちな月経、妊娠、分娩、育児、更年期といった女性特有の属性を一つ一つ挙げ、positiveな方向性を示してはいるのだが、その表現は男性の私から見ても少々強引な印象があり、同性からは結構反発がある様な気がする。

 著者は国内外でアカデミックなキャリアを積み、ブラジル人と結婚し、出産、子育ても経験している訳だが、例えば「最近の親は娘に見合いを勧めない」というあたりで、失礼ながらと前置きして「大した才能も無い娘に『仕事して自分の食い扶持が稼げれば良いんだよ』とか『いい人がいなければ結婚しなくても良い』というメッセージを出してしまう事は悲劇の始まり」という下りでは、かなり不快な気分になってしまう。また海外での生活が長い為か、性に対する考え方もかなり奔放であり、決して生真面目とは言えない私でも読んでいて少し違和感を感じた。

 しかし基本的な主張である「女性として生まれたからには、その身体性を否定するのではなく自ら積極的に体現する方が幸福な人生につながる」という部分には、医学的にも肯ける内容が多く、やはりそれなりのインパクトを持つ良書ではないかと思う。

 onobaba0001

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海辺のカフカ(文庫版)

 GWの休みで上巻を何とか読み、昨夜~今日、用事や母の日の買い物の合間をぬって下巻を読んだ。初期の作品はリアルタイムで愛読していたが、「ノルウェイの森」は今一つ馴染めなかったし、「アンダーグラウンド」の重さにも耐えられなかった私、今回は久々の長編である。

 読了後の感想はやはり「ブラッドベリを思い出す」という月並みなものだが、トシを取るというのは悲しいもので、10代後半にあれだけ読んだはずのブラッドベリの記憶すら曖昧になってしまった。

 生きていく現実の不条理とパラレルワールドとして存在する理想の世界、そしてその根本には時空のねじれがあり、しばしば両者が交錯する・・。所々に散りばめられた深く肯けるフレーズや、いつも通りの小道具(音楽や服のブランドなど)を駆使しつつ、さらに熟成された彼の世界だが、昔の様にスッキリした感じで受け止められなくなったのは、自らもまた世の不条理を体全体で受け止める様になったからかもしれない。
 
 それでも好きな音楽を聴きながら読書に没頭できる時間を持てた事に感謝!
 
 kafuka

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「活写」昭和の鉄道情景

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 フラッと買い物に出かけ、偶然手に取った1冊。作者はいのうえ・こーいち氏、どういう方かよく知らないが、クルマに関しても本を出しているそうで、要は「乗り物好きが真っ直ぐ育った」おぢさんの様だ。

 何と言ってもサブタイトルの「1971年、小樽築港」というのがグッと来る。小1~4秋まで小樽で過ごした私、1971年という年は東京の高校で落ちこぼれかけており、夏休みは両親の住む札幌に帰省していた。その間勉強にはさっぱり身が入らず、時々小樽築港機関区に通っていたし(私も紛れもない鉄道好き)、夏休みの終わり近く東京に戻る時には、この本のメインテーマであるC62重連が牽く急行ニセコで帰ったものだ。勿論停車の度にカメラを持って先頭に走り、ツバメマークのついたC622(小樽~長万部間の前補機)の勇姿を撮りまくった(笑)。
 
 結局その高校は二学期で辞めてしまい、札幌の高校に翌年入り直すのだが、憧れのC62重連が牽く客車のシートに座りながら、高揚感と挫折感、漠然とした不安を抱いていた15才の自分を思い出すと、今でも胸が詰まる。興味ない人には「?」という世界だが、鉄道好きのおぢさんには是非オススメしたい一冊。

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