学問・資格

NHKの底力?

 何かと問題も多いNHKだが、5/26日22時以降のプログラムはなかなか良かった。

 まず「プロフェッショナル・仕事の流儀」、今回紹介されたのは材料工学の研究者細野秀男(東工大教授)とそのグループ。高専在籍中に、科学者の立場から公害問題に取り組んでいた宇井純に憧れ、フィールドワークを手伝う様になった細野氏、宇井氏に「公害問題を研究したい」と訴えるが、宇井氏は「公害は現代の問題、君は自分の分野を見つけて学問を究めなさい」と勧められ、高専を中退して都立大工学部に入学(当時は今の様な編入制度は無かったのだろう)、その後化学を専攻したが、なかなか芽が出なかったそうだ。

 ある日燃焼させたセメントの色が変わる事に着目し、実験を繰り返しているうちに超伝導の研究が開花、今や画期的な新素材を次々と生み出す世界レベルの研究を主導している。

 番組では修士を終えたばかりの若い研究者に新しい研究を担当させる様子が流れたが、、彼は飄々としながらも、通常文献を引く所を自分の実験で確認するなど硬派な研究者の片鱗を見せ、結果が出そうな所まで漕ぎつけたのには驚いた。

 また結果の検討が甘かった為に、誤った論文を世に出してしまった時のエピソードや、「ありふれた物質で新しい素材を作る事が公害を作らない」という信念など、実に興味深い構成で、あっという間に50分が経ってしまった(ただ理系出身の茂木健一郎の突っ込みが甘く、結構イラっとした)。

 その後短く流れた「あの人に会いたい」では、私も結構好きだった故中島らもが紹介されたが、年々飲酒と薬物中毒でやつれていく彼の姿に改めて胸を打たれた。

 そして23時からは「爆笑問題のニッポンの教養」、飢餓を無くすことで世界平和を実現しようとする「農学のラストサムライ」独立行政法人農研機構・作物研究所所長 岩永勝氏が実に興味深い話を聞かせてくれた。

 海外での研究生活が長い氏によれば、世界の争いの多くは食料の争いによって起きる訳で、年間1900万トンもの食品廃棄物を出している日本は異常な国、既に危機的状況に陥っていると警鐘を鳴らす。

 勿論全てが素晴らしかった訳ではないが、地上波のこの時間帯でこれだけのクオリティを持った番組を出せるNHK、やはり凄いなあ。

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Esquire (エスクァイア) 日本版が休刊!

 毎月読んでいた訳では無いが、特集の内容により年に何度か買っていた雑誌の一つなので、休刊(廃刊?)は寂しい。

 しかも今月号の特集は「もう一度学校へ行こう/社会人よ新しき”リベラルアーツ”を身に付けよう」というもの。「何でこんな御時世に!」という声があちこちから聞こえて来そうだが、こういう時代だからこそ、打算抜きに「知を満喫する」営みがあっても良いのではないかと思う。

 自らの過去を振り返ってみて思うのは、「若い頃の学びには、必ず何かゴールが設定されていた」という事、中学生には高校受験(今なら中学受験が普通かもしれない)、高校生には大学受験、大卒後は就職という感じで、進むのが普通で、本来リベラル・アーツを身に付けるべき大学1~2年(昔でいう一般教養課程)は、むしろモラトリアムの時期として機能していた学生が多かった気がする。

 まあ私は、全く違う領域の資格を取るため、20代半ばで予備校に通い別な大学を再受験、運良く合格出来た後も6年間の厳しい教育を受けてようやく仕事に就くことが出来た。

 卒業後もずっと忙しく、専門医を取ったり、働きながら何とか学位を取得したりしたが、「楽しむ」なんていう心境をチラッとでも味わえる気分になったのは、この一年位かもしれない。

 しかし学部時代を入れて27年間学んできた医学でようやくこのレベル。今回話題のリベラル・アーツという事になると、とても自信は無い。

 少し検索してみると、リベラル・アーツは自由七科と称され、その上に哲学が君臨するそうだ(だから全ての博士号に”philosophy”がついてるのだろう)。

 そして自由七科とは、文法、修辞学、弁証法(論理学)という三学と算術、天文、幾何、音楽の四科、今の時代には若干違和感も感じるが、やはりこうしたものが揃ってこその「教養」と言えそうだ。

 早速4月号をAmazonに注文したので、届いたら少し時間をかけて、読んでみたいと思う。

 さすがに今の生活を継続しながら「学校に行く」のを実現するのは困難だが、この年になって初めて理解できる事も多いだろうから、”知”のアンテナだけは錆び付かない様に手入れしていきたいものだ。

 それにしてもEsquire (エスクァイア) 日本版は22年続いたのか。ちょうど30才過ぎから読んできた訳だから、休刊の知らせは、まるで古い友人を失うようだ。

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飛行機で出勤(笑)

 この週末は東京での研究会にぶつけて、三男と「大学見学」に行ってきた。

 彼は札幌から私のマイルで得た特典航空券で上京、原宿あたりを散策した後、東京メトロの某駅で待ち合わせ、マクドナルドで買った食料と飲み物と共にホテルにチェックインした。

 私が違う場所で行われていた頚動脈病変に関する研究会に出ている間、彼はホテルで爆睡。私が戻ってからホテル内の最も安い所で食事をとり、風呂に入って寝た。

 翌日は早起き、和食の店で美味しい朝定食をいただいたが、なぜか給仕してくれた女性が外国訛りでちょっと違和感。

 その後私大1校と国立大1校を見学し、少しだけ観光もして空港に向かった。

 しかし・・・・。札幌行きは「天候調査の結果引き返す可能性あり」との表示にガックリ。前夜の羽田~千歳はほぼ全滅だったから、その暗い印象が甦ったのだろう。

 三男のチケットは変更できないし、私が函館に着いて、彼が羽田に戻った場合、一人で夜明かしとなるのはさすがに気の毒なので、最終的に私が札幌行きに変更し、翌朝一番の丘珠発に乗る事にした。

 結局・・・飛行機は無事札幌に着いたが、高速道路は凄い雪+事故、バスが自宅近くのターミナルに着くのには、いつもの倍近い時間がかかった。

 今朝は地下鉄の始発に乗って栄町まで行き、タクシーで丘珠空港へ(ほぼワンメーターに近い)。ここでも天候調査が入ってビビったが、凍結した滑走路の整備後普通に飛んだ。

20909

 今回は空港にクルマを駐めていたので、到着後はそのクルマに乗って出勤!職場に着いてすぐ外来を始めたが、幸い予約が少なかったので助かった!

 さらに夜は宴会もありヘロヘロだったが、さっきようやく帰宅。洗濯機を回し、部屋を少し片付けて、こうしてブログを書いている。

 今週は明日行けば明後日休日、何だか凄くホッとする。

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新設理数科高校の未来は?

 横浜市が設立し、今春鳴り物入りで開校する理数科高校がテレビで紹介されていた。その名も「横浜市立横浜サイエンスフロンティア高等学校」、今年の志願倍率は何と5倍だとか。

 番組では「30年後にノーベル賞」「ノーベル賞を受賞した科学者の授業がある」「大学院並みの研究施設」という華々しい面ばかり強調されていたが、サイトで授業要覧などを見る限り、「理系の切り口から自分にあった進路探して貰う」という印象が強く、なかなか好感が持てた。

 自分自身、公立普通科高校を卒業し、総合大学の文系学部と単科医科大学を出た訳だが、大切なのは、有名大学に最小の努力で合格する術を身につける事ではなく、生涯自分が興味を持てるものに出会えるかどうかだと思う。

 何せ10代の頃は自分の事なんてまるっきり分かってない。良く言われる「数学ダメだから自分は文系」は明らかに間違いだし、「国語、社会がダメで理科が好きだから理系」っていうのもかなり乱暴だ。

 実は誰でも、様々な才能や適性を持っているのだが、それに気付くには沢山の「出会い」が必要である。他人がやっているのをみて「面白そう」と思うのも良いし、たまたま手に取った本から大きなヒントを貰う事もある。何より「ああいう風になりたい」と思う人物が近くに居るとよいのだが、最近だとなかなか難しいかもしれない。

 何だか意味不明な文章になってしまったが、要するに「探索型の人生の方がきっと面白いだろう」という事(勿論生活出来なきゃ困るけど)。最小限の努力で有名大学~大企業や官公庁というシステムに組み込まれてしまうより、自らの内面から湧き出るエネルギーに駆動されてあちこち彷徨い歩く方が、ずっと楽しそうだ。

 考えてみたら、ノーベル賞受賞者って、若い頃そういうテーマに出会い、一生かけてそれを実現しようとした人ばかりだな。

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さっき週間ブックレビューで

 最近「悩む力」を書いた姜尚中氏が、ある大学院生の質問に答えていた。彼の発言や考え方には賛同し難い部分もあるが、その質問に対する解答は十分納得できるものだった。

 院生:大学院に進むと”実学”を学ぶウェイトが大きくなるのですが、そうした状況で漱石やマックス・ウェーバーの様な”古典”を学ぶ意味を教えて下さい。

 姜尚中氏:魚に例えると、大学は「干物」を扱う所です。そして例えばジャーナリズムは「生魚」を扱う所です。生魚は美味しいですが、時々当たったりします。大学で生魚を扱うのは悪い事ではありませんが、干物の事をよく知った上で、扱うのが良いでしょう(表現は違うかもしれないが、概ねこんな内容だった)。

 そう私がイメージする大学も、やはりある程度長いスパンを持った事象を扱う所であって欲しいし、徒にトレンドに流されるのはいかがなものかと思う。私はただのおぢさんに過ぎないが、その時素晴らしく見えても、時間の経過と共に色褪せ忘れ去られてしまう物が少なくない事や、かつて「こんなもん無駄だ!」と思っていた事が、急に輝きを増す事があるくらいは理解してるつもりだ。

 ここでふと思い出したのが解体~再編された某公立大学の事。曰く「学生は商品である。大学でそれを加工し、卒業証書という名の品質保証書を付けて世に送り出す」

 いかに立派な施設を持とうが、多額の予算を費やそうが、こんな組織を「大学」というのは憚られる。世間に対してインデペンデントである事も、大学にとって重要な要素の一つだと思うから。

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有名私大も所詮は・・・?

 先日報道で知って驚き、内田センセイのブログでも批判されていたが、今回立命館大学で起きた不祥事は非常に情けない。特につい最近まで受験生の親として悩ましい日々を送っていた身としては、「大学」というもののあり方について色々考えさせられた。

 その概要を簡単にまとめると「新しく生命科学部を創設した」→「辞退者数を推測しながら合格者数を設定した」→「思いの外辞退者が少なく文科省からの補助金が貰えない可能性が高くなった」→「教授会の承認を得ないまま理事会が学生に無試験で転部を勧める話を決め、ガイダンスで学生に伝えてしまった」という事になろう。

 正直これはひどい。第一志望の大学に入って胸躍らせて入学ガイダンスに出たら「今年は学生を採りすぎて文科省から補助金が貰えなくなりそうなので、どうか他学部でも良い人はそちらへ移って下さい。転部先は自由に選べます」って言われた側の学生はどう思うだろう。そして自分の子供が希望の大学に入って「良かったね」と言っていた親御さんはどんな気持ちだろう。

 例えが悪いかもしれないけど、時々空港で使用機材の変更などで席が足りなくなり「遅い便に変更されるお客様には○○円をお返しします」なんていう放送が流れるけど、大学の対応はまさにこれと同じじゃないかな。

 大学側は「学生数が多すぎると勉学の環境が保てない」とか「無理強いするつもりはない」などとコメントしていた様だが、その向こう側に「私大の経営戦略として補助金が貰えるギリギリまで学生を採るのが当然」という戦略のが透けて見えるのが痛い。

 まあその後文科省の事情聴取などがあり、大学のサイトにも「特別転籍は致しません」という告知が掲載されたから、これで一件落着なんだろうけど、何だかスッキリしないのは、ここでも「何事も理念よりビジネスモデルが優先する」という今の風潮に私が過剰反応しているからかもしれない。

 殆ど研究せず講義もおざなりな高等遊民的教師がウロウロしていた昔の大学も困ったものだったが、「学生の就職にどれだけ貢献したか」なんていうファクターで教師の勤務評定が上がる今のシステムも何か違う様な気がする。

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追加)水産放浪歌

 検索してたら見つけたのでこれもコピペ

富貴名門の女性に恋するを純情の恋と誰がいうぞ。
暗鬼紅灯の巷に彷徨う女性に恋をするを不情の恋と誰がいうぞ。
雨降らば雨降るもよし風吹かば風吹くもよし
月下の酒場にて媚を売る女性にも純情可憐なる者あれ。
女の膝枕にて一夜の快楽を共に過さずんば人生夢もなければ恋もなし。

響く雷鳴 握る舵輪 睨むコンパス六分儀
吾等海行く鴎鳥 さらば歌わん哉
吾らが水産放浪歌


心猛くも鬼神ならず
男と生れて情はあれど
母を見捨てて浪越えてゆく
友よ兄等よ何時また会わん


朝日夕日をデッキに浴びて
続く海原一筋道を
大和男子が心に秘めて
行くや万里の荒波越えて


波の彼方の南氷洋は
男多恨の身の捨てどころ
胸に秘めたる大願あれど
行きて帰らじ望みは待たじ

 水産類(当時は文類・理類・医進・歯進・水産類)の学生ではなかったが、若さ故かこの歌にはすっかりやられてしまった。

 なお学生が2年次秋から函館キャンパスに移動する事や新制移行時に函館にあった高等水産を併合した事、入試偏差値があまり高くない事で水産学部を低く見る不届き者が時々いる様だが、水産学の講座は農学校時代既に設置されており、伝統という面では(私の出た)文系などよりずっと格上だし、oceanographyの研究実績も素晴らしい事を忘れてはなるまい。

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Boys,be ambitious!

 一応OBとしてはソフトバンクのお父さん(犬)に言われると微妙な気分になるが、この有名な台詞の後には「and make much money!」という続きがあるという噂があった。

 今から32年前の1976年、北海道大学は創基100周年を祝っており、なぜか殆ど学校に行った記憶の無い2年目1年(いわゆるドッペリ)の私にも記念の手拭いが回ってきた(勿論ロゴは”Boys,be ambitious!”)。

 古い事なので記憶も曖昧だが、確かこの頃18条の東風荘で麻雀を打ってる時に、その「続きがある」話題が出た様な気がする。

 まあこの”Boys,be ambitious!”はクラーク博士の創作ではなく、彼の故郷であるニューイングランドでは一般的な言い回しだったという説もあるし、その後に"in Christ"が付いたとも言われているから、本当の所は誰にも分からないのだろうけど。

 いずれにせよあと数日で二男はこの家を去り、130年の伝統を持つ農学部の学生となる。帰り道、クルマの中でふと校歌「永遠の幸」を口ずさんでる自分に驚いたが、有名な「都ぞ弥生」よりこのマイナーな校歌や「瓔珞磨く」「水産放浪歌」などを懐かしむOBは案外多いと推測する。

 著作権も切れているそうだから一応コピペ

北海道大学校歌「永遠の幸」

大和田建樹氏 校閲
有島武郎君 作歌


永遠の幸 朽ちざる誉 つねに我等がうへにあれ

よるひる育て あけくれ教へ 人となしし我庭に

* イザイザイザ うちつれて 進むは今ぞ

  豊平の川 尽せぬ流れ 友たれ永く友たれ  


北斗をつかん たかき希望は 時代を照す光なり

深雪を凌ぐ 潔き節操は 国を守る力なり


山は裂くとも 海はあすとも 真理正義おつべしや

不朽を求め 意気相ゆるす 我等丈夫此にあり

*繰り返す

 訳も無く誰かの家に集まり、飲み、ブレインストーミング、麻雀、チンチロリン なんかに明け暮れていたバカバカしい日々も、今思えば決して無駄な時間じゃなかった事を今頃になって確信する(笑)。

 世間では、お受験~中高一貫エリート校→東大卒を最高と賞賛するが、それとは程遠い所にも、きっと充実した人生や身の丈に合った幸せがある、52才になったおぢさんは心からそう思うのだ。

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脳科学と臨床神経学

 漠然と思ったのだが、脳科学の方法は「静かな湖に石を投げ、その波紋がどう拡がっていくか」を詳細に観察したり、実験系を用いて湖底の地形をじっくり解析していく様なものではないだろうか?

 対して臨床神経学を実践する人間(医師免許が必要)は、小さな漁船で時化たり凪いだりする気まぐれな海を彷徨いながら、その広さや深さを知り、安全に航海する術を学んでいく。

 勿論どちらが良いとか悪いという話ではなく、同じ脳を対象としていても手法やフィールドが違うという事である。

 こういう例えから行くと、最近高度に発達した神経系の画像診断は、脳という海を行く漁船に装備されたハイテク探査装置みたいなものかもしれない。

 経験豊富な漁労長は、空や雲、風や潮の流れで船を進めるべき方向が分かるそうだが、それに最新型の機器が加われば鬼に金棒となろう。しかし、経験の浅い者が、機器に頼って海に出れば、遭難する事も十分考えられる。

 今年でようやく経験20年目の私もまだまだ駆け出し。ハイテク機器に頼り過ぎる事無く、この先の荒海を乗り切っていきたいものだ。

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書店で何気なく手に取った

 文庫本だが、パラパラとめくって眺めているうちに随分考えさせられた。明治後半~戦前あたりまでの旧制中学、女学校などの入試問題を各界の有名人を絡めつつ解説したものだが、何より驚愕したのはそのレベルの高さである。

 いくら将来国を背負って立つ人材を養う為とはいえ、11~12才の子にこれだけの教養を求めていた事実を知ると、最近非難集中の「ゆとり教育」の愚かしさに思わず天を仰いでしまう。

 開国から半世紀も経たないうちに欧米列強の一角に食い込み、方法には問題があったかもしれないが国威発揚に邁進していた時代。まさに「人は力なり」という当たり前の事が実践されていたのに対し、現在横行している人間軽視、拝金主義の風潮は一体何なのだろう。

 ふと考えたら亡父は愛媛県立大洲中学校に入学し(後に外地に転出)、亡母は千葉県立千葉高等女学校に入学している(卒業時は学制改革で新制高校卒)。開戦前~戦中なのでこの本のレベルよりは若干下がっているかもしれないが、幼かった私がしばしば驚愕した両親の知力の根源は、このあたりにあったのかもしれない。

 興味ある方は是非一読を。

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英才教育振興法(韓国)と日本の現状

 さっきNHKのBSで韓国の理系英才教育の番組をやっていたので、家事をしながら断続的に眺めていた。詳細は分からないが、2000年に英才教育振興法により科学技術立国を目指した(当時の)韓国政府のスタンスは「国力のバロメーターは経済力であり、経済力は科学技術の発展にも基づくものである。21世紀は潤沢な知的財産を保有する国家が優位に立てるのだから、国力伸長のため科学英才教育を行わなければならない。」というものだったらしく、その良い例として「戦後優れた科学技術や物づくりで経済大国になった日本」が挙げられていた。

 しかし我が国の現状は韓国に比べて惨憺たるものに見える。いまだに文系>理系(官の世界で言えば文官>技官)という明治以来の不文律が残り、理系は単なる実働部隊としか思われていない面がある。例えば企業内での画期的発明に対しても僅か十数万円の報償金で済まされたり(特許による収益は全て企業側が取ってしまう)、下手すれば体良く解雇なんていう事さえあるらしい。

 韓国には以前から毎年自殺者が出る程厳しい受験競争があり、70年代に高校入試を小学区制にしたため大学入試が過熱、今や殆どの家庭が子供の進学に尋常でない投資を強いられているそうだから、英才教育振興法によって小学生から理系の才能のある子を発掘して育てようという国家プロジェクトはむしろ好ましく受け取られるのかもしれない。

 番組ではプサンにある科学高等学校を取り上げていたが、全国の中学校から推薦を受けた受験生を面接、筆記、泊まり込みの実験合宿などでじっくり選抜。それで最終倍率は十数倍というから、やはり優れた生徒が集まるのだろう。

 ただここの生徒達は「ハーバードやMITに行きたい」などと語っているが、韓国国内にはソウル大学を頂点とした大学ランクがあるから、今後彼らが北米の有名大学へ進んだ場合、帰国して国益に寄与しようとしても上手く行かない可能性もありそうだ(現実に世界的業績を持つ韓国人科学者の多くは海外で仕事をしているとの事)。

 まあいずれにせよ韓国がお手本とした我が国は理系離れが著しく(理工系に行ってもリスペクトされない現状をまず何とかしなければ)、本来先端科学技術分野に進むべき英才が、安定を求めて医学部医学科などに進学してしまう。そしてグローバリゼーションの影響か、根気強く何かを創造する仕事より無形の財を右から左に流して手っ取り早く利ざやを稼ぐ方が格好良い様な風潮が若い人にも影響しているから、団塊世代の引退と共に我が国を支えてきた技術や物作りは急速に衰退する事だろう。

 現政権は教育改革を大きな目標と掲げているが、「美しい国」などという虚飾(醜いからこそ美しいと言わなければならない?)、教員管理強化や塾への敵対視などという急を要さない事は後回しにして、少しは韓国の現状を参考にして貰いたいと思う。

 でも「国公立大学の授業料で理系を文系より高くする」なんて大真面目に言ってる様じゃ到底期待できそうにないか(苦笑)。

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知力=(素質+環境)×モチベーション

 久々に某巨大掲示板の関係スレッドを覗いてみたら仰天した。難関大(例えば東大、京大、東工大、一橋、国公立医学部)合格=成功、それ以外は×という短絡が氾濫し、高校毎に数字を足して一学年の人数に対する比を出したりしてランキングを付けている。

 まあゲーム感覚なんだろうし、「結局~はダメ!」とバッサリ斬り捨てる快感も理解できるが、その貧しい感覚には何とも言いようが無い哀愁を感じてしまう。

 書いてるのは多分20代前半くらいで、難関大に合格したけどあまり陽の目を見てないか、志望校に合格できなかったのは出身校のせいだと思ってる人じゃないかと思うけど違うかな?

 そこでふと浮かんだのが上記の適当な式だが、高校、大学(+大学院)、社会人と進んでいく時期に一番大事なのはモチベーションではないかと思う。例えば医者になりたいなら、どこでも良いから医学部医学科に入れば良い訳で、お金のある人は私学へ、そうでない人は私の様に地方国公立を目指せば良いだけの話だ(尤も昔は今より遙かに入り易かったけど)。だから難関だからといって東大と医学部を比べる事には何の意味もないし、そういう所に合格した人数を足した所で虚しいだけだろう。

 おぢさんの式によれば、進学校に入学できる程度の基礎学力があり、ある程度環境に恵まれれば、後はモチベーションを高く保てる人がより伸びる。まあ適当に考えただけだからあてにならないかもしれないけど、大事なのは高校という容器ではなく、その中に入っている個人だっていう事かな。

 意味不明になってきたのでこの辺で退散!

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十五の春

 今から36年前、某都立高校の合格者名簿掲示に私の名前は載っていなかった。皮肉な事に学区トップ校(というか当時は学校群だったからトップ群)から二番手に志望を落とした所、その年に限ってトップ群は定員割れ、二番手は高倍率となりボーダーが逆転、内申が低かった私はそのとばっちりを食った訳だ。

 その後色々あって嫌々進んで私立高校を辞め、翌年札幌の公立高校に一年遅れて入り直したのだが、やはりあの「掲示板に自分の番号がない」という身の置き場所がない辛さは今も忘れる事ができない。

 昨日三男が札幌の某公立高校を受けた。倍率は低めで昨年よりボーダーが下がるかと思われたが実際はかなりの難関、自己採点の結果では何とか行けそうな気もするが、やはり発表までは落ちつかない日が続くだろう。

 今や都会では中高一貫が多くなり、十五の春より十二の春と十八の春が問題になのかもしれないけど、やはり人生を大きく左右する受験というイベントは本人も周囲もストレスである。

 子供のことになると自分の事よりオロオロしてしまう親バカな私、三男がもし合格できたら、思わずガッツポーズで号泣しちゃいそうだ。

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あまりに愚かな地歴未履修問題

 北陸の高校から東北地方などへ波及したいわゆる進学校の地歴未履修問題、なぜ今まで発覚しなかったのか不思議だが、この時期になって補習を受けさせられる生徒は気の毒としか言いようがない。

 我が家にも高校二年生がいるので慌ててカリキュラムを見たが、必修の世界史Aを1年でやり、2年生は文理共に世界史B、日本史B、地理Bから一つを選択、3年生でも文理共日本史Aまたは地理Aの選択になるから、どうやら大丈夫の様だ(後に「情報」なる科目で不正が判明)。

 今回問題となったのは主に理系の生徒の様だが、理系の場合、センター試験は公民だけで済む所が多い事から、地歴を削って数学や理科の授業を増やしていたものと予想される。

 これも何かと批判を浴びてる「ゆとり教育」のせいなのだろうが、我々の頃は地理B、日本史、世界史B、倫理・社会、政治・経済全て必修、理科だって今は物理、化学、生物から2つしか履修しないが、昔は物理B、化学B、生物、地学すべて必修だったし、数学も高二の三学期くらいには文理を問わず数Ⅲへ突入していた。まあおかげで20代半ばにして理系学部へ入学する事が出来た訳だが、一見無駄に思われた勉強でもどこで役に立つか分からないという事を私自身が証明している様な気がする。

 入試に必要なものだけに教科を絞り、虚偽の届け出をして指導要領を無視した学校関係者はどういうつもりでこんな馬鹿な事をやったのだろう。有名大学への進学者を増やして世間から高い評価を得、自分たちが出世していく為だろうか?それとも純粋に生徒たちの負担を減らしてやりたかったのだろうか?私には分からない。

 今後この手の話はどんどん出てくるだろうが、結果的に何も知らずに頑張っていた生徒たちの足を引っ張る結果になった今回の一件、愚かな大人たちの責任を是非しっかり追求して貰いたい。

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十五の春を泣かすなよ

 報道によれば、2月下旬に行われた埼玉県の公立高校入試で、合否判定ミスがあった事があきらかになった。どうもエクセルを開いて総合得点をコピペしている時に行がずれたのが原因らしいが、問題はこの作業を一人の教師が行い、本人も再確認せず他の教師によるチェックも行われなかったという点だろう。

 以前よりその重みは減ったとはいえ、学歴が何かと重視される社会なのに、このルーズさ、無責任さは許し難いが、幸い得点開示で疑問を持った生徒が中学校の校長に相談した事から合否の再判定が行われ、新たに15人が合格となった。

 こうなると「実は不合格なのに合格とされた生徒」の処遇が問題になるが、そのあたりは一体どう調整するつもりなんだろう。

 実は私自身内申が低くて公立高校に落ちた経験がある。ただ入試本番では確実に9割以上取っていた筈だから、なかなかそのトラウマから抜け出せず、随分紆余曲折の人生を歩む事になってしまった。

 人の一生を左右しかねない高校入試の合否判定を、一人の担当教師がPCでやってるなんて信じがたいけど、実はそのPCは私物でエロ動画とか「ウィニー」も入ってたりするんだろうな。

 ダメだこりゃ(笑)。

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大学の役割

 先日どこかの記事で見た「大学は工場と一緒、学生という素材を加工し、卒業証書という保証書を付けて社会に送り出す(一部記憶違いの可能性あり)」というどっかの偉い人の談話が気になっている。確かに多くの大学が就職予備校と化している現実はあるにせよ、これはいくら何でも言い過ぎではなかろうか。

 そもそも大学は、勉強ではなく学問を身に付ける所である。そこにいるのは生徒ではなく学生だし、受動的に社会に組み込まれる人間だけでなく、既成概念を根底から変革したり、将来国家の命運を握る人間が混じっているかもしれないのだ。

 色々あってはからずも大学生を10年以上やってしまった私だが、まるっきり怠惰な生活を送っていた前半でも「学問と小便は自分でするものだ」という老教授の話に肯き、「大学でまず学ぶべきものは知的興奮である!」と檄を飛ばす若手助教授に煽られ、思わず身を正した記憶がある。まあ後半は学問というより拷問という感じで駆け抜けてしまい、結局は「学成らず」して終わった自分だが、たかだかどっかの企業のトップをやってる程度の人間が、若者を鮭の缶詰かなんかみたいに語るのは、あまり気分の良いものではない。

 おぢさんが若い人に求めたいのは、物事をよ~く観察すること、自分で考える力を身に付けること、相手が誰であれ可能な限り対等に議論すること、そしてそれらを統合して知的好奇心に駆動された生き方を目指すこと、といったあたりだが、多分そういう人材は今の社会では生きにくいんだろうな。

 ま、じっくり時間をかけて何かを創っていくより、足りないものは買ってくれば良いと考える人たちだからこんな事書いても通じないだろうし、国立大学の方も法人化以降一部の勝ち組以外牙を抜かれた状態だから、いずれ殆どの大学は本当に缶詰工場みたいになっちゃうのかもしれない。

 適当な研究もどきでお茶を濁しロクに講義もしなかった遊民的教官は嫌いだったけど、昔の大らかな大学が今は何となく懐かしい・・。

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こんなの氷山の一角だろうけど

 今日の報道によると、札幌市の某学校法人で私学助成金が不正流用された疑いがあるという。こうした助成金はその使途について国(文科省)に報告する義務がある訳だが、この法人では校舎の壁補強工事に予算を使った事にして、実は理事長の自宅改修工事を行っていたらしいというから驚く。

 国の財政危機がこれだけ問題になっている時代に、学校法人という立場を利用して補助金を私的に流用するなどとんでもない話だが、既に工事を請け負った業者が事実を認めているそうだから、いずれきちんと司直の手が入る事だろう。

 誰もが感じている様に、こういう事は多分氷山の一角である。しかし、総選挙後の様々な動きを見ていると、どうも「今までとは違うな」という感じがする。勿論小泉政権の一時的な人気取りなのかもしれないが、道路特定財源を巡る攻防、公務員純減問題、特別会計半減構想などのニュースを見る限り、やはり上記の様に稚拙な不正は今後通用しなくなると考えた方が自然だろう。

 それにしても恥ずかしい理事長である。関係者は今頃ガックリ来ているに違いない。

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やっちゃったかな?

 昼のニュースで、札幌の大手進学塾「ZS会」が、任意ながら講習を申し込んだ生徒に学級名簿や卒業名簿の提出を求めていた事が伝えられていた。この個人情報保護が厳しくなった時期に何と軽率な!と思うのだが、その背景には本州から進出してきた「営利目的という噂が高い」進学塾の存在があるような気がする。

 そもそも「ZS会」は1970年代中盤から急速に成長し、同時期に「RS会」という塾も道内主要都市に進出していった。その後様々な変遷を経て、最近では札幌圏は「ZS会」、地方都市(函館、帯広など)は「RS会」という棲み分けになっている様だ(我が家も兄弟揃って「RS会」のお世話になっている)。

 今後どうなるかは不明だが、やはり今回の件で「ZS会」はかなりの痛手を被るだろう。いきなり「講習料無料」を打ち出したり、サイトのど真ん中に「投資家の皆様へ」などと書かれている「SE予備校」には、あんまり好感を持てない私としては、「ZS会」に頑張って欲しかったのだが・・・。

 ま、何があっても「良いものが残っていく」そう信じたいものだ。

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旅費支給改革の行方

 先日某新聞のサイトで、H大が年間24億円にも及ぶ公的な出張旅費に関する業務をJTBに全面委託するという記事を見た。個人的な経験からも官公庁での出張旅費の扱いに関する業務はかなり負担が大きいから、法人化を契機としてこういう思い切った方法は今後広く普及すると思われる。

 H大の教官や職員、招聘した研究者らの出張回数は国内外で年間約3万件。従来は出張者は書面で申請書を提出し、目的地までの距離や交通機関、旅費などを記入して大学側が内容を精査して旅行命令書を作成するという方法を取っていたそうだ。公務出張に関する費用は当然予算の範囲内でまかなわれるのだが、実際には旅費の計算間違いや予算不足による自己負担もあるだろうし、カラ出張の可能性も皆無ではないから、学内の限られた事務処理能力で対応するのは難しいのだろう。

 ただ最近思うのは「本当にこんなに出張が必要なんだろうか?」という事。これだけ高速回線が普及しているのだから、会議や学会・研究会はネット上でパワーポイントやPDFを使った電子ポスターや掲示板(ID・PW登録は必須)を使って実施可能だと思う。まあ学会・研究会の時しか休めないという裏事情も一部にはあるのだが、それにしても飛行機で遙か遠くまで行って、十分な知的財産を得られるかというとちょっと自信がない。

 これからはこういう形で既得権が見直されていくのだろうけど、取りあえず不正行為だけはきちんと抑制して貰いたいものだ。

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センター試験終了

 今年は我が家に2人も受験生がいるので、ここ数日はブログどころではなかった(笑)。今年は練習に近かった長男は、一応今年の志望校が何とか狙えるあたりまで頑張ってくれたが、それがまたかえってプレッシャーになりそうで心配だったりする。まぁ親という生き物はいつまでもこうして気を揉みながら生きていくのかもしれない。

 高校受験の二男は悪天候だというのになぜかスケートへ。訊けば「お兄ちゃんが試験だから俺が代わりに滑ってやったんだ」との事。これまたうるわしい兄弟愛である(嘘)。

 このあたりは明日から新学期、ギリギリまで宿題をやっていた三男坊も上2人のおかげで、毎日気を遣っているみたいでちょっと可哀想だ。

 いずれにせよ今日で少し気持ちが軽くなった。仕事も詰まってるから気持ちを引き締めて頑張ろう。それにしても最近のセンター試験、難しすぎ!!

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またまた変わる?入試制度

 韓国では組織的カンニングが摘発されて大変な事になっているらしいが、今日の報道によると、京大が2年後の入試から後期日程を廃止するらしい。入試制度をいじくり回して若い世代に迷惑をかけるのはいい加減にやめて欲しいと思うのだが、多分他の国立大学は、これに追従する所とそうできない所に別れていくと予想される。

 そう、そこでフッと何かを思いだした世代は多分40代中盤以上。要は昔の一期・二期の時代の再来という可能性が高い。私は色々事情があって、一期・二期の時代と共通一次・一発勝負の時代に大学入試を経験しているが、そもそも一期・二期という制度は受験生には非常に有り難かった訳で、なぜそれをやめたのかがよく分からなかった。

 真偽の程は不明だが、旧二期校から「一期に優秀な学生を取られてしまい、自分達の所に良質の学生が来ない」という苦情が来たことから制度が変えられたという話を聞いた事がある。しかし入試日程を同じにしたら優秀な学生が来る筈だと考える発想がそもそも理解できない。

 当時の二期校の最高峰は言わずとしれた東京医科歯科大、東大理一合格の受験生が殺到したという伝説は今も残っているだろうか。まあ医科歯科は特別かもしれないが、二期校でも特徴を出し結構優秀な学生を集めていた所もあった訳で、まず自校の内容を充実させ、attractiveな大学にするのが先だと思う。
 
 親になって痛切に思うのが、子供の未来なんて18才じゃ何も決められないっていう事。もうそろそろ入口を少し緩くして入学後様々な選択肢を与えながら人を育てていくシステムを考えても良いんじゃないかな。
 
 特定の大学を出ないと未来が拓けない様な社会は、少なくとも21世紀の先進国としては失格だと思うのだが。

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